空屋敷(からやしき)と――
 青山亡き後の空屋敷(からやしき)と呼ばれる其の御屋敷で、続く人死に。其れが(すべ)て吉田家に(ゆか)る者とは存知ませなんだと、老爺は応えた。
「疑う訳では御座居ませぬが、其れは(まこと)に御座居ますか」
(まこと)である」
 ()う、男は(うなず)いて云った。
「初めに死んだのは千代と云う女である」
 此れは小姓組番番士である花井家の娘であるのだと云うと、老爺は真逆(まさか)(はばか)る様に呟いた。
「其れは()の花井家で御座居ますか」
()う其の花井だ」
 既に察して居ようと、男は(うなず)いた。
「此の花井の繋累、千代と云う娘は何様(どう)やら、小姓組番番頭(ばんがしら)吉田家が一男(いちなん)、義虎殿と恋仲であったのでは無いかと云う話なのだ」
 (いや)、恋仲と云える程深い仲であったのかは当人同士しか知り得ぬ事であろうが、兎に角、吉田義虎とは(いとけな)い頃より伴に育った仲であり、年頃に成っても付き合いが続いて居たのだから、少なくとも互いに憎からず思い合って居たのは間違いの無い処であろう。行々(ゆくゆく)夫婦(めおと)に成るに違いないと、周りは()う思って居たのである。
「其れが――死んだ」
 空屋敷(からやしき)での事である。
(ふる)き馴染みの仲を引き裂く血生臭き一件。(しか)も吉田家(ゆかり)となれば、此れは何やら因縁を感じずには居れまい」
「左様で御座居ますな」
 ()う、(しず)かに老爺も応じた。
「次はな、大番が番士、大嶋(おおしま)源左衛門(げんざえもん)重之(しげゆき)と云う男であった」
 小姓組番と大番では格も勤めも違う。傍目には吉田家のとの繋がりも見え難かろう。(しか)し――
「此の大嶋源左衛門、又も吉田義虎殿の御幼少の(みぎり)よりの無二の友。同じ道場に通い、剣の腕を伴に磨いたと云う深き仲である」
 此れも死んだ。
「空屋敷で、で御座居ますか」
「左様」
 源左衛門は義虎殿と竹馬の友であったのだから、千代とも勿論知り合いであったのだと男は続けた。
「源左衛門が千代を、義虎殿を肚の底で何様(どう)思って居たのかは知れぬが、亡き千代を思い二人で幾夜も飲み交わしたと聞いて居る。或る日の其の帰り道で――」
 大嶋源左衛門は死んだのだ。
「義虎殿は、()の日家迄送って行けば良かったと大いに嘆かれた」
 恐らくは独りで空屋敷に出向いたのであろう。
 千代の無念か、遺恨か、(しか)とは分からぬ其れを晴らそうとでも思ったのやも知れぬ。
 或いは千代に呼ばれでもしたか。
 ()()て――
 皿屋敷の怪に遭って、死んだ。
 身の回りで立て続けに二人喪った義虎殿は居ても立っても居れぬと、夜毎見廻りに出る様に()った。
「三人目は年老いた老婆である」
 名をよしと云った。
「此れは、吉田家に長く仕えた女であり又、義虎殿の乳母でもあった」
 見廻りに出る義虎殿を案じたのであろう。
「もう義虎殿も佳い(とし)である。小姓組番番士として磨いた剣の腕もある。其処に年老いた(おんな)が一人付き添った処で、邪魔にこそ成れ、助けには成らぬ事は百も承知。其れでも――」
 負うた子は何時(いつ)(まで)経っても心配であったのだろうと、男は云った。
「其れが(あだ)に成ったとは皮肉な話である」
 当人にも告げず見廻りに出た義虎殿の其の背を追ったよしは此れ又何様(どう)云った訳か皿屋敷の怪に遭い、義虎殿が空屋敷を訪れた時には――
「既に井戸の傍で事切れて居たと云う」
 此れで三人と、男は云った。
(ことごと)くが吉田家に、(こと)吉田義虎殿に縁ある者ばかりであろう。故に()う考えるのも然程(さほど)的外れとは云えまい。皿屋敷の怪は、吉田に(あだ)()すもの。其の大本(おおもと)は吉田家か、或いは義虎殿に恨みを呑む者ではないかと」
 成程(なるほど)と老爺は頷いた。
「慥かに()うやも知れませぬな」
「界隈でもちらほらと()う云った噂も聞く様に()った」
 勿論(もちろん)、相手は小姓組番番頭(ばんがしら)たる吉田家、表立って()う口に()る者は無い。
 (しか)も渦中の人物たる吉田義虎其の人が、変わらずに堂々と仕えを続けて居ると()れば、(いたずら)に騒ぎ立てる方こそ思慮が足りぬとの(そし)りを受けても仕方の無い向きさえ有る。
「義虎殿は仕えを続けて居るので御座居ますか」
「続けて居る」
 此の様な時だからと云って、(いや)、此の様な時だからこそ、勤めに穴を開けるわけには行かぬのだと、()う申して居られたと、男は答えた。
確乎(しっかり)した御人なので御座居ますね」
「気丈な御方なのだ」
 昔から()うなのだと、男は続けた。
「幼い頃から何事も突き詰めて丁重(きちん)()て居なければ気の済まぬ御方であったのだ。他人(ひと)にも御自分にも厳しく仕付けて来られた。十にも満たぬ頃から(われ)を捕まえては(あれ)(これ)やと納得される迄質問攻めにされた事を、今でも思い出す」
 ()う云って男は少しだけ淋しげに笑った。
 其処を行くと――
「千代は――」
 一転、ぽつりと、男は畳に視線を落として(こぼ)した。
「少しばかり違って居た」
 だからこそ良かったので御座居ましょうと、老爺は応じた。
「同じ様な為人(ひととなり)では却って息が詰まりまする。夫婦(めおと)は正反対の方が好いと、昔から申すでは御座居ませぬか」
()うかも知れぬ」
 千代は――
「千代は、其れは気立ての好い娘だったのだ」
 左様で御座居ますかと、老爺は(しず)かに頷いた。
「身内贔屓の欲目も有ろうが、其れでも、好く育って呉れたのだ。義虎殿とも一揃いに(しつら)えたかの様であった。将来(さき)も思い描くが楽しみであった。慥かに少しばかり変わった子ではあったが、其れでも――」
 なあご老体と、()う、男は呼び掛けた。
「千代は、生まれついて一つ欠けて居たのだ」
「何がで御座居ますか」
「指だ」
「指で御座居ますか」
()うだ、右の小指が一つ、生れつき欠けて居たのだ」
其れを揶揄(からか)う心無い者も在ったと、男は苦々しげに云った。
「五体満足に生んで遣れなんだ事を悔いた。謝りもした。(しか)し其れでも千代は、他人(ひと)を妬むでなく、親を恨むでなく、(ただ)在るが(まま)に伸び伸びと生きて居た。心優しく育って来た。吉田の御屋敷で養って居た猫にも、必ず自分の椀や皿から一切れ二切れ分け与えて遣る程に情け深い娘であった。故に猫も懐いた。普段は誰にも見向きをせず、下手に手を出そうものなら容赦なく引っ掻く様な荒くれも、食事時には千代の傍へと寄り、温柔(おとな)しく座って待って居たものだった」
 (いや)、猫だけでは無いと、男は少し唇を噛み締める様に顎を引いた。
「吉田の御屋敷では、上から下まで千代を(いと)う者は無かった」
 其れなのに何故と、男は声を詰まらせた。
「千代はな――」
 千代は――
常時(いつも)()う云って居た」
 (わたし)は欠けて居る事を辛いと思った事はありませぬ。
 欠けて居るからこそ好いのです。
 足りぬ位が丁度好いのです。
 ()(すべて)てが揃って居りましたら。
 ()し其れが当たり前だと思って居りましたら。
 決して満たされる事はありますまい。
 一つが在ってももう一つ。
 二つが在っても未だ一つ。
 三つが在っても更に一つ。
 在れば在る程、次を次をと求めて仕舞いましょう。
 満ち足りると思うからこそ、満たされぬのです。
 満ち足りぬが当然と思えばこそ、満たされるのです。
 此の焼き魚も、一つ丸ごとが(わたし)の物と思うからこそ、骨の一本までも(ねぶ)らねば、皮の切れ端までも(かじ)らねば気が済まなく成るのです。
 (わたし)だけの物では無いと思えばこそ此の身の一片(ひとかけ)とて惜しくなく、猫も(わたし)も伴に満足出来るのです。
 腹を満たすのが当たり前と思うからこそ、魚が一枚で足りなければ二枚、三枚と重なるのです。
 満たされずとも糊するに十分と思えばこそ、此の一枚で何の不満が有りましょうか。
()う云って笑って居たのだ」
 なあご老体と、再び男は老爺を呼んだ。
何故(なにゆえ)に千代は死なねばならなかったのだろうな」
 誰の恨みを買うでも無く。
 誰の妬みを貰うでも無く。
 (ただ)、吉田家に勤めて居たと云うだけで。
 (ただ)、皿屋敷の怪に魅入られたと云うだけで。
「其の――」
 皿屋敷の怪に引かれたと云う三人は――
 慥かに青山の空屋敷、其の庭の井戸端で死んで居たので御座居ますかと、老爺は尋ねた。
「左様」
 男は緩々(ゆるゆる)と顔を上げた。
「其の様に聞いて居る」
成程(なるほど)()う成りますれば、裏に()の様な因縁が在るのやら此の老骨には知れませぬが――」
 此処は傳通院(でんづういん)殿にお願いするより他御座居ますまいなと、老爺は(しず)かに云った。
傳通院(でんづういん)殿と云えば」
「左様、小石川の、で御座居ます」
「住職連察(れんさつ)殿が、力に()って頂けようか」
(さて)、其れは定かには申せませぬが」
 お頼りするには他には御座居ませぬかと思いますると、老爺は云った。
「小石川傳通院、無量山(むりょうさん)傳通院(でんづういん)寿経寺(じゅきょうじ)と云えば、開山()されたは酉蓮社(ゆうれんじゃ)了誉(りょうよ)聖冏(しょうげい)上人。又の名を三日月上人とも繊月(せんげつ)上人とも呼ばれる尊い御方。此の了誉上人の逸話、ご存知御座居ませぬか」
「知らぬ」
 聞いた事も無い。一体()の様な逸話が有ると云うのかと問う男に、老爺は背筋を伸ばし向き直った。
「其れならばお聞かせ致しましょう」
 了誉上人は(かつ)て、怨み祟る女性(にょしょう)の怪を鎮めた事が有るので御座居ますと、老爺は云った。
 時は遡る事、永保から寛治の頃。
 後三年の役と呼ばれた戦があった。
 陸奥守と成った八幡太郎義家公が、奥州が清原氏の内乱を平らげんと、配下十万騎と伴に攻め下ったのである。
 義家公は其の道行きの中途にて、或る長者の屋敷に足を止めたと云う。長者は義家公の軍勢に驚きは()たものの、一行を三日三晩手厚く(もてな)した。
 其処で英気を養い、無事奥州を平らげた後、悠々と元来た道を引き返した義家公一行は、再び同じ長者の元を訪れ、往時にも増しての歓待を受けた。
 (しか)し義家公は、此処で却って身震いの()る思いを()たと云う。
 此の長者は、此の(たび)平定した奥州清原氏に勝るとも劣らぬ豪族である。従って此の(まま)()て措いては、後々別の火種と成るのではないかと。
 ()う考えた義家公は、礼を告げて出立した後密かに引き返し、長者の屋敷に火を放ち、郎党と伴に攻め滅ぼして仕舞ったのだ。
 此の長者には朝日と云う娘が居た。
 朝日は隠し穴より乳母と伴に難を逃れ、常陸国(ひたちのくに)が下岩瀬へと落ち延びたと云う。
 ()()て辛くも命を拾った朝日であったが、其の身の裡に燻る無念は消える事無く燃え続け、(つい)には(よわい)十八の春に、父や母の御霊(みたま)を慰め、又家を再興せんと奮い立った。(しか)し女手一つで何が出来ようか。神仏の加護でも無くば、家の再興など夢のまた夢。()う考えた朝日は、成就を得んと百箇日の祈願を志した。
 身を清め、白装束に身を包み、化粧を施しては誓願を続ける事百箇日。其の満願の日。此れ迄と同じ様に春日神社の境内の池の(ほとり)に立つ松に日頃大切にしていた八稜の鏡を掛け、化粧を施そうと()た朝日であったが、ふとした弾みに鏡を取り落とした。慌てて拾おうと手を伸ばした朝日は、其の(まま)足を滑らせて深みに()まり、()()て二度と浮かび上がる事は無かったと云う。
 其の後、池には夜毎妖気が漂い、怪しげな光が差すと共に女の亡魂(ゆうれい)が彷徨い出ては周りの人々を悩ませる様に成った。村人は朝日姫の怨霊だと云って恐れ、池に近寄る者も無くなった。池は長く手も触れられぬ(まま)に残された。
 ()うは云っても池は境内に在る神聖な物。近寄らずに措くには何かと不都合も有り、又、貴重な水源(みなもと)でもある。困り果てた村人は、瓜連が常福寺の了誉上人に弔いを依頼し――
「了誉上人の読経の後、池の底より一疋の亀が鏡を背負って浮かび上がり、爾来(じらい)、其の女性(にょしょう)の怪が現れる事は無かったと、()う云う話に御座居ます」
 此れ依り其の池は鏡ヶ池と呼ばれて居りますと云って、老爺はひたりと男を見据えた。
如何(いかが)で御座居ますかな」
如何(いかが)と云われるが――」
 男は少し戸惑う様子であった。
「其れは慥かに女性(にょしょう)の怨念を、傳通院(でんづういん)殿が鎮めたのであろう。古く、又至極(しごく)奇怪な話ではあるが、由来の有る事も能く分かった。(しか)し――」
 其れと此れとが何様(どう)関わるのかと、男は尋ねた。
「分かりませぬか」
「分からぬ」
「サテ」
 ()う云って、老爺はつるりと顎を撫でた。
「吉田様の源流(もと)常陸国(ひたちのくに)の吉田に御座居ましょう」
「左様、()う聞いて居る」
「八幡太郎義家公を守護()された八幡神(やわたのかみ)を奉るは他でもありませぬ、常陸国(ひたちのくに)が吉田神社に御座居ます」
 何とと、男は声を上げた。
「其れは(まこと)か」
(まこと)に御座居ます」
(われ)の憶えが正確(ただ)しければ、京の石清水八幡宮で元服()されて()り、八幡太郎と称されたのでは無かったか」
 博識恐れ入りまして御座居ますと、老爺は(おもて)を伏せた。
「慥かに旦那様の仰る通りに御座居ます。能く能く物を存じて居られる旦那様に斯様(かよう)な事を申し上げまするは此の老いた身にはが荷が勝ちましょうが――」
 (こと)、後三年の役に関しては違うので御座居ますと、老爺は云った。
「今でこそ倭建命(やまとたけるのみこと)を合祀されて居り、其方(そちら)を主神と致して居りますが故、其の元も忘れられて久しくは御座居ますが、吉田神社本来の祭神は名神(みょうじん)吉田神。合わせて八幡神(やわたのかみ)様に御座居ます。御神体は軍扇(おうぎ)。此れは、後三年の役の折、八幡太郎義家公の奉納()された物に御座居ます」
(つま)りご老体、義家公の奥州平定は八幡神、其れも(こと)吉田神社の加護を得て行われた物であると」
「左様に御座居ます。加えて其の道行きの長者殺しも又、()う云う事に成るので御座居ます」
 其れを解脱得度させたが傳通院(でんづういん)殿。(すなわ)ち――
「片や吉田の加護を得て滅ぼされ、片や死して後吉田に(あだ)()さんとし、(ゆかり)は違えど共に吉田。なれば()う云った怨みを呑んで死んだ女性(にょしょう)の怪を鎮めるには」
 傳通院(でんづういん)殿を措いて此れ以上の適任は居りますまいと、老爺は結んだ。


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