(さら)屋敷(やしき)は――
 吉田大膳亮(だいぜんのすけ)様が屋移り()された後に真更(まっさら)と成った其の(さら)屋敷(やしき)の地は、真実(ほんとう)斯様(かよう)に血生臭い土地とお思いかと、男は改めて尋ねた。
「ヤレ、先程も申しました通り口性(くちさが)無い町人共の噂噺(うわさばなし)に過ぎませぬ」
 毛程も真実(ほんとう)の事が在るとは思いませぬが、お気を悪くなされたので御座居ましたら、平にご容赦下さいませと老爺は深く頭を下げた。
(いや)()う云う意味では無い」
 ()う云って男は顔の前で手を振って見せた。
「何せ童児(こども)でも知って居る様な間違いも含まれて居るのだ、町人が面白がって話す事に一々(いちいち)目角(めくじら)を立てては居れぬ。(そもそ)も――」
 (さかのぼ)って云えば、吉田御殿に天樹院様がお住まいであったと云う処から間違って居るのだ。其の先など今更改めて云う迄も無い。
「ご老体も知って居よう。姫路城主で在らせられた本多忠刻公と死別なさった後、天樹院様が移られたのは吉田御殿では無く竹橋御殿なのだ。竹橋は五番町より(うしとら)に離れて居よう。其の後に飯田御殿に移られたのは間違っては居らぬ。居らぬが――」
 吉田屋敷とは何の(ゆかり)も無いのである。
「左様に存じます」
 ()う老爺も応じた。
何故(なにゆえ)に天樹院様と、番町が吉田屋敷とを結び付けたのかは存じませぬが、所詮は町人の()れ遊び。真面(まとも)に取り合っては莫迦らしゅう御座居ましょう」
 ()う云って老爺は()う続ける。
「天樹院様の一件でも、青山家の騒動でも、亡魂(ゆうれい)が迷い出たと云う其の古井戸、此れも真実(ほんとう)に在るのか何様(どう)か怪しい物で御座居ます」
(いや)――」
 在る。
 在るのだ。
 古井戸は。
「旦那様、今、何と」
 古井戸は慥かに在ると申したのだ。
 ()う云われて老爺は小さく息を呑んだ。
「――其れは()しや、矢張り亡魂(ゆうれい)が出ると()う、仰るので御座居ますか」
 (しか)し男は(くび)を横に振った。
 出ぬ。
 亡魂(ゆうれい)は出ぬのだが、古井戸は在るのだ。
 ご老体、と男は下から()め上げる様にして云った。
「お聴き下さるか」
「何なりと」
「内密に願えるか」
「云う迄も無きこと」
「五番町に()だ吉田屋敷が在った時分――屋敷には一人の下女が居たのだ」
 名を、おせん、と云った。
 ()う、男は語り始めた。
 おせんは、番町に並ぶ者なしと云われる程の器量良(きりょうよし)であった。
 明るく気立ても良く、朝から晩迄繰々(くるくる)()く働き、勤めに手を抜くと云う事も無く、手先も器用で料理や繕いも得手として居り、嫁ぎ先など、選べと並べられた釣書だけで諸手に余ろうかと云う程であった。(いや)、釣書など無い町人や通り(すが)りの岡惚れも合わせれば、()く門前に市を為さなかったと云っても好い程だった。
 ()う、(ひるがえ)って云えば、其れ程言い寄る男は多かったにも関わらず、おせんは誰にも(うん)とは云わなかったのだ。
 (わたし)には()(はよ)う御座居ますと当人は笑って(くび)を横に振って居たが、恐らく心に決めた男でも居たのであろう。
 吉田の勤めを続けて居るのだから、屋敷の中の誰かではあるまいか。否々(いやいや)、誰かでは無い、吉田の当主、大膳亮(だいぜんのすけ)様、其の人では無いか。誰語るとも無く、其の様な噂も立って居た。
 (しか)し其れは道ならぬ、叶わぬ想いであった。
 番町吉田家と云えば小姓組番(こしょうぐみばん)番頭(ばんがしら)
 小姓組番は江戸の警護役である五番方の中でも、書院番と合わせて両番と呼ばれる、他の三番よりも格上の番方である。其の(かしら)とも成れば、連合(つれあ)いも生半(なまなか)な格の家では務まらぬ。
 縦令(たとい)、当人同士が良くとも周りが其れを赦さぬ。
 斯様(かよう)な噂が立てば、真実(ほんとう)何様(どう)であれ噂だけでも問題であると、口を出す親類も出る。
 ()う成れば、事が起こるより先に早々身を固めて仕舞えと考える者も出る。
 小姓組番番頭(ばんがしら)と縁続きに成れるのならば此れは好機と捉える者も出る。
 ()()う云う思惑が絡み合い、初めは小さな(さざなみ)だった物が、何時(いつ)しか当人達でも到底動かせない程の(おお)きな(なみ)と成って吉田の家を呑み込んだ。
 大膳亮が何様(どう)思っていたのかは分からぬ。
 只、逆らうに逆らえぬ事は悟って居たのであろう。
 様々な(しがらみ)の中、大膳亮は其の申し出を()けた。
 其れは家の為、家名の為、己の為でもあったろうし、おせんの為でも、あったのだろう。
 此処で断れば、矢張りと周りは思う。
 ()う成れば、おせんが邪魔であると考える者も出よう。
 居なく成ればと、()う企む者も出るやも知れぬ。
 其れを避ける為に、敢えて()けた様にも思う。
 (こと)に乗り気であった澁川の伯母が、おせんを嫌って居た事も一因と成ったろう。此処で下手に触って障り在るよりはと()う思ったのではあるまいか。
 ()しか()ると此処で要らぬ抵抗をせずに措けばおせんをずっと手元に置けるやもと、()う云う考えも、有ったのかも知れぬ。
 (いや)、世の推量は全て的外れで、此れ迄は偶々(たまたま)好い相手が居なかっただけなのかも知れぬし、巡り合った相手を気に入っただけなのかも知れぬ。
 真実(ほんとう)の処は知れぬ。
 知れぬが、大膳亮は勧めに従って嫁を(めと)り、おせんは下女として変わらず吉田家に勤めた。
 嫁いだ奥方も、噂を知ってか知らずか、表向きはおせんを他の下女と分け隔て無く扱っている様ではあった。
 ――或る時迄は。
 或る日の朝餉の刻、夫婦の膳を据え、下がろうとしたおせんに、不意に奥方が()う声を掛けた。
 此の膳は誰が盛ったのかと。
 何心無い風に、奥方は()う尋ねた。
 (わたし)で御座居ますとおせんが答えると、奥方は更に、今の(こたえ)相違(そうい)無いな、他の者は手を触れて居らぬなと重ねて尋ねた。
 左様に御座居ます、何か手落ちが御座居ましたでしょうかと、おせんが平伏した所で、奥方は見る間に激高した。
 見よや此の椀。
 其方(そなた)が盛ったと、他の者は手も触れぬと()う申したな。
 其れならば此れも其方(そなた)仕業(しわざ)であろう。
 語るに落ちるとは此の事よ。
 大方、(わたし)が気に入らなんだのだろう。
 (ねた)んだのだろう。
 (ひが)んだのだろう。
 (そね)んだのだろう。
 知って()る。
 知って()るぞ。
 だから――
 だから此の様な事をしたのだろうと、()う叩き付ける様に云った。
 おせんは平伏した(まま)に、何の事やら存じませぬが、粗相が在りましたならば平にご容赦下さいませと更に頭を下げた。額が畳に着いた。
 その上に、奥方は飯盛りの椀を放り投げた。
 未だ湯気を立てる熱い飯を頭に被り、其れでもおせんは一言も上げなかった。
 其れが更に奥方の感情(おもい)を逆撫でした。
 ――(わたし)が知らぬと思うてか。
 ()う奥方は声を荒げた。
 勿論(もちろん)知った上で、知らぬ振りをして情けを掛けたと分からぬか。
 同じ女子(おなご)なればと()う思い措いたを察せぬか。
 其の恩を()うして(あだ)で返すか。
 もう我慢が()らぬ。
 其方(そなた)の勤めも此れ迄と知れ。
 (すぐ)に荷を(まと)め屋敷を出よ。
 ――お言葉では御座居ますがと、おせんは額衝(ぬかず)いた(まま)(しず)かに答えた。
 (わたし)は此の吉田家に仕えて居りまする。
 奥方様に措かれましては慥かに当家の、(わたし)が仕えるべきお方に御座居ますが、(わたし)の進退を決しますのは奥方様には御座居ませぬ。
 勿論(もちろん)(わたし)明白(あからさま)な落ち度でも御座居ましたならば返す言葉も御座居ません。
 黙って勤めも()めましょう。
 (しか)し仔細分からぬ(まま)の罷免とも相成りますれば、如何(いか)にも受け容れがたく存じまする。
 (いや)しき身分の此の身なれば奥方様に問い質すは不遜とも成りましょうが、曲げてお願い申し上げます。
 (わたし)に何か至らぬ処が御座居ましたならば、何卒(なにとぞ)お教え頂けませぬか。
 ()う云っておせんはきっと顔を上げた。
 其の眼差しを奥方は真っ直ぐに見詰め返した。
 ()く云う、と奥方は低い声音で応えた。
 云わねば分からぬ振りを()るか。
 ()()て迄(わたし)を欺こうと()るか。
 其れならば此の場で瞭然(はっきり)とさせようではないか。
 今其方(そなた)の目の前に有る椀の底を見るが良い。
 ()う云われておせんは畳の上に転がった椀に視線を転じた。
 其の視界の端に、何やら光る物が有った。
 自然と目は其処に吸い寄せられた。
 椀から飛び出したのであろう其れを、おせんはそっと(つま)み上げた。
 分かったであろうと、奥方は勝ち誇った様に云った。
 其方(そなた)、其れを何と心得る。
 ――針に御座居ますと、おせんは云った。言葉の尻が僅かに震えた。
 ()うであろうと、奥方は応じた。
 大方(おおかた)岡惚れの心得違い、(わたし)余所者(よそもの)が我が物顔で入り込んでと(いと)い――
 此れは何かの間違いで御座居ますとおせんは顔を伏せたが、何が間違いかと、奥方は金切り声を上げた。
 たった今、其方(そなた)が申した(ばか)りでは無いか。
 此の膳は其方(そなた)が盛り、他の者は手を触れても居らぬと。
 其れならば椀に針を仕込み、(わたし)を亡き者にせんと企んだも其方(そなた)であろう。
 針仕事を得手とする其方(そなた)の事。針を手に入れるも造作(ぞうさ)無かったのであろう。
 (しか)し良いか、最早(もはや)此れは(わたし)だけの話では無いのだぞ。
 (わたし)を亡き者にせんと企むは、引いては吉田家に対する謀反であろう。
 幸い()うして気付いたから好かった様なものの、()(わたし)が針を呑み、息絶えるようなことがあれば、(いや)、少しでも怪我()ようものならば、吉田家、小姓組は元より(わたし)の親元も黙っては居らぬ。
 嫁いだ(ばか)りの家での不祥事。事を大きくしとう無いのは(わたし)も同じ。素直に認めれば事も荒立てずに済まそうものを、飽く迄其方(そなた)()た事では無いと言い張るのであれば、他に下手人が居るのであろう。()()れば家中より(すべ)てを虱潰しに――
 ()う云い掛けた所で、おせんは申し訳御座居ませぬと再び頭を下げた。
 何故(なにゆえ)に謝るのかと奥方が問い掛けると。
 (わたし)が――
 (わたし)()た事で御座居ますと、おせんは伏した(まま)に、()う云った。
「――其れは真実(ほんとう)に、おせんの仕業だったのですかな」
 ()う老爺が尋ねると、男は(しず)かに(くび)を横に振って、違うと答えた。
(いや)、違わないのかも知れぬが、恐らく違うのだろう」
 ご老体の考えて居られる通りだと思うと、男は付け加えた。
「飯盛りの椀に針を入れた所で其れを気付かずに呑み下すとは思えぬし、飯の中に(うず)もれて居たであろう針に(すぐ)に気付くと云うのも()う有り得る話でも無い様に思う。()()れば、針を其の様に目立つ様仕込んだは大方奥方ご自身の仕業であろう。元より何時(いつ)か追い出して遣ろうと其の機を窺って居たのであろう。其れを察した上で、吉田の家中に要らぬ波風を立てまいと、おせんは丸ごと呑み込んだのだ」
 (いや)()しか()るとおせんの方も好い機会だと()う考えたのかも知れぬ。
 叶わぬ想いを抱いて暮らすよりは、いっそ家を出て仕舞った方がお互いに未練も断ち切れようと。
 其処は分からぬ処である。
 (しか)()うは云っても罪を当人が認めたのであるから、何も沙汰を下さぬ訳には行かなんだのだと、男は続けた。
 沙汰は追って云い付ける、一先ずは屋敷の一室に閉じ込め置くが良かろうと、()う成ったのだ。
 其の部屋から――
「おせんは忽然と姿を消したのだ」
「消えて仕舞われたので」
「大膳亮殿は()う云われた」
 せんは吉田家に(あだ)()そうとした者である。
 如何(いか)に長い勤めと(いえど)も、(あるじ)連合(つれあ)いの膳に針を忍ばせたは無礼討ちは免れぬ。
 依って我が手ずから斬り伏せ裏庭の井戸に打ち捨てた。
 其の証拠(あかし)が此れであると――
「指を見せたのだ」
「指で御座居ますか」
()う指だ」
 おせんの指であったのだろうと男は云った。
「其処迄されれば、流石の奥方も其れ以上は追求出来なんだ」
 (しばら)くして吉田家は禍事(まがこと)の有った番町より赤坂に屋敷を移し、時を同じくして吉田宿に一人の遊女(あそびめ)が現れたと聞く、と男は続けた。
「名を千歳(ちとせ)太夫(だゆう)と云い、其の器量は遊女(あそびめ)数多(あまた)在る吉田宿の中にも較べる者の無い程であったとの事だ。時機と云い、名前と云い、誰もが()うなのでは無いか、と思った。其れ故に――」
 誰からとも無く、吉田の千姫(せんひめ)様と、()う呼ばれる様に成ったと云う。
「ご老体も知って居よう」
 と男は水を向けた。
遊女(あそびめ)睦言(むつごと)(すべ)て嘘と云う。座敷の敷居は夢現(ゆめうつつ)(さかい)(わきま)えねばならぬと云う。(しか)し其の中に在る誠実(まこと)を示す為に遊女(あそびめ)は自らの指を切り、愛しい相手に贈ったと」
「左様で御座居ますな」
 ()に恐ろしきは女の情念とでも申しましょうかと老爺が答えると、男は如何(いか)にもと(うなず)いた。
 大膳亮(だいぜんのすけ)殿が密かに逃がそうと()た際に――
「おせんは其れに(なぞら)えたのだろうかな」
「女郎に身を落とす覚悟を決め、(おもい)だけを遺して行ったので御座居ましょうか」
 真実(ほんとう)の処は知れませぬがと云う老爺に、男も(うん)と応えた。
「千歳太夫は片手を常時(いつも)袖の内に隠して居たと云う。二階から客を招くにも指先を隠して袖を振ったと。其れも噂の元と成ったのであろうな。兎も角、()う云った話であったから、千歳太夫は其の器量の割に身請けを()ようと云う者も少なく、又現れても決して(よし)とは云わなかったそうな。只一人、小姓組番の花井を除いては」
「花井とは、(くだん)の花井壱岐で御座居ますか」
 ()う老爺が問うと男は(うむ)と答えた。
「花井家は吉田家と縁続きでな、吉田家も腹心の部下と全幅の信頼を寄せて居られた。()の様な由縁有ってかは知らぬが、他の話は取り付く島も無かった千歳太夫も、此の花井家の、当時の当主、壱岐の身請け話には、少し(ばか)り違う様に応えた」
「違う様にとは」
「娘をな」
「娘と」
()うだ。己は身請けされる価値の無い女。(しか)し叶う事ならば己よりも自らの娘。おたけと名付けられた其の子を、養女として育てて貰えないかと、()う云った」
「花井壱岐殿は呑まれたので」
「呑んだ」
 何様(どう)かなご老体、と男は其処で座りを改めた。
「天樹院様も元のお名前を千姫と云う。其の天樹院様は、鹿の子の打掛(うちかけ)をお召しになられている絵姿が有名であろう。又、吉田宿の遊女(あそびめ)は鹿の子絞りの着物を着るが習わし。()うして――」
 吉田屋敷と吉田宿。
 天樹院様と千歳太夫。
 鹿の子の打掛と鹿の子絞り。
 其れ等が混同され、其処に井戸と花井壱岐とおたけが加わり――
「今の『吉田屋敷の天樹院様』の(はなし)が出来上がって居るのだ」
 更に云えばと男は続ける。
「皿屋敷の話に出所の知れぬ針や、指切りが出て来るは、元を(ただ)せば吉田家の話。因縁の井戸も、始まりは其処に在る。大方(おおかた)語られる内に何時(いつ)知れず、誰知れず、混じり合って仕舞ったのであろう。(さて)、此処まで話せば察せられようが、(われ)は――」
 と云い掛けた処で、男は小さく頸を振り、(いや)矢張り止めようと言葉を切った。
「名は名乗らぬが好かろう。(われ)は公儀より内々に命を受けた其の先の先にこそ在れど、表向きは、名は無い方が都合が好いのだ。後々には名の残らぬ、誰でも無い男。其れで好かろう」
「其れでは旦那様」
 と今度は老爺の方が口を開いた。
「旦那様が何処のお方で在るのかは問いませぬ。問いませぬが、一つ教えて頂けませぬか」
「何であろうか」
 問い返されて老爺は、恐れながら間違(まちご)うて居りましたらお許し下さいませと頭を下げた。
「成る程、皿屋敷の(あやかし)真面(まとも)にお上が相手に出来る筈も無い事、(しか)し捨て置けぬと(ゆかり)有る旦那様に巡り巡って白羽の矢が立ちました事、其処迄は容易(たやす)く推し量る事も出来ましょう。(しか)し――」
 最早(もはや)其れでは済まぬのでは御座居ますまいかと、老爺は居住まいを正した。
(そもそ)もの話の発端は吉田屋敷。現況(いま)の怪しげな噂は皿屋敷。()うであっても」
 既に人死にが出て居りましょう。
 番町が皿屋敷には、恨みを遺した亡魂(ゆうれい)が迷い出る。夜な夜な井戸より立ち返っては、皿を数える。
『一つ』
『二つ』
『三つ』
『四つ』
『五つ』
『六つ』
『七つ』
『八つ』
『九つ』
(ああ)、一つ足りない』
 ()う云っては魂消(たまげ)るような悲鳴を遺し、陰々滅々と陰火に焼かれ、又井戸へと消える。
 其れを(しま)いまで聞くと――
 狂い死ぬ。
 ()う云われて居る。
 真実(ほんとう)何様(どう)かは分からぬ。
 分からぬが、先達(せんだっ)てより既に其の皿屋敷で三件の人死にが、出ているのである。
 ()うであるのだから――
()()れば動員(うご)くべきは町方、でなければ火付盗賊改方の与力、同心、岡っ引きでは御座居ますまいか」
「左様である」
 男は(しず)かに肯いた。
「事は其処なのだ」
「其処とは」
最前(さいぜん)にも云った通り吉田が移り、青山が亡き後の空屋敷(からやしき)、其の屋敷の因縁、井戸の因縁は、遡れば吉田家に(まつ)わる処に在ろう。(しか)し――」
 其れだけでは無く、現況(いま)の人死にも(ことごと)く吉田家に(ゆか)る者達なのだ。
先達(せんだっ)てより続く三方の怪しき死に様。此れ等が中心に吉田家が在るのだから、すわ御家騒動か、将亦(はたまた)吉田家に恨みを飲む者かと、お上は其れも案じて居られるのだ」
 小姓組番番頭(ばんがしら)の不祥事と()れば、()軽々(けいけい)に表沙汰にも出来まい。
「其れ故に――」
 内々に調べよとの命が下されたのであると、男は云った。


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