高瀬舟――と云う舟がある。
 世に高瀬舟と云えば、浅い河川(かわ)海江(うみ)を行く為の、小さくて船底の平らな木造り舟を思い出す向きも有ろうが、(こと)京の町に於いては別の物としての方が通りが好い。
 京に於いて高瀬舟と云えば、高瀬川を上下する小舟である。京都の罪人が遠島を云い渡された際に大坂まで護送するために(しつら)えられた其れを、慣例的に()う呼ぶ。
 此の舟に載せられる様な罪人達は、遠島の沙汰を下されたからには勿論重い科を犯した者達であることは慥かである。
 ()うは云っても、高瀬舟が小舟である事、舵取りと見張りとを兼ねた役廻りに京都町奉行所の同心が一人()てられるだけである事、罪人の親類で主立った者を一人同船させる事が黙認されて居る事等からも分かる通り、彼らは決して盜みをするために人を殺し火を放ったと云う様な、獰悪(どうあく)な人物が多数を占めて居た訳ではない。高瀬舟に乗る罪人の過半は、所謂(いわゆる)心得違いの為に、思わぬ科を犯した者であった。有り触れた例を挙げて見れば、心中を図って相手の女を死なせたものの、自分だけ生き残って仕舞った男と云う様な類である。()う云った罪人を載せて入相(いりあい)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ東へ走り、加茂川を横切って下るのであった。
 此の舟の中で、罪人と其の親類の者とは夜通し身の上を語り合うのが常である。其れは常時(いつも)常時(いつも)悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍で其れを聞いて、罪人を出した親戚眷族の悲惨な境遇を細かに知ることが出来た。()れも所詮町奉行所の白洲で表向の口供を聞いたり、役所の机の上で口書を読んだり()るだけの役人には夢にも窺う事の出来ぬ境遇であった。
 同心を勤める人にも種々の性質が在るから、此の時只五月蝿いと思って耳を覆いたく思う冷淡な同心が在るかと思えば、又沁々(しみじみ)と人の哀を身に引き受けて、役柄ゆえ景色には見せぬ(なが)ら、無言の中に(ひそ)かに胸を痛める同心も在った。場合に依っては非常に悲惨な境遇に陥った罪人と其の親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行く事に成ると、其の同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。
 ()う云った理由(わけ)から、(いず)れにしても高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌われていたものであった。
 其の京都東町奉行所の同心の一人、羽田庄兵衛に或る奇妙な罪人の護送が命じられたのは、或る年の春のことだった。
 奇妙だと庄兵衛が思ったのには理由(わけ)が有った。
 数多の罪人を見送って来た庄兵衛にしてみれば、多くの罪人は文字通り罪科を背負った者に他ならなかった。或る者は同心である庄兵衛に媚び諂う様に振る舞い、或る者は己の罪の大きさに怯えた素振りであり、或る者は諦め切った様に温順(おとな)しくして居り、又或る者は開き直った様に不貞不貞(ふてぶて)しさを装った。
 言い換えれば()の罪人も其の罪を慥かに抱えて庄兵衛の目の前に居た。
 (ところ)が此の度の罪人は、其の()れとも違った様子であった。
 慥かに牢屋敷から棧橋まで連れて来る間、此の痩肉(やせじし)の色の蒼白い男は如何(いか)にも神妙に、如何(いか)にも温順(おとな)しく、自分を公儀の役人として敬って、何事につけても逆わぬ様に()て居る。
 (しか)し其の陰に畏れが無いのである。
 (あたか)も町角で同心に出会(でくわ)し、何とは無しに話し掛けられ、兎に角応対をしているのだと、其の様な有様である。己が罪人であると云う引け目や(やま)しさを感じて居る風が丸で見受けられない。
 其の(さま)如何(どう)()ても得心が行かず、庄兵衛は舟に乗ってからも単に役目として見張って居る(ばか)りで無く、絶えず其の男の挙動に細かい注意を()て居た。
 此の日は暮方(くれがた)から風が止み、空一面を覆った薄い雲が月の輪廓を霞ませ、近寄って来る夏の温さが、両岸の土からも、川床の土からも、靄に成って立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横切った頃からは、辺りが寂莫(ひっそり)として、只(へさき)に割かれる水の囁きを聞くのみである。
 慣れた手付きで艪を漕ぎながら、庄兵衛は正面(まとも)にではない(なが)らも(じっ)と其の男の顔から目を離さずに居た。
 夜、舟で寝る事は、罪人にも許されて居るのに、男は横に成ろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙って居る。
 ()うかと云って神妙に物思いに沈んででも居るのかと云えば()う云う訳でもない。其の額は晴やかで目には微かな輝きがある。浮かぶ表情は何処から何様(どう)見ても、如何(いか)にも樂しそうで、()し役人に対する気兼ねが無かったなら、口笛を吹き始めるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうですらある。
 庄兵衛が此れ迄高瀬舟の宰領を()た事は幾度だか知れぬ。載せて行く罪人は、常時(いつも)殆ど同じ様に、目も当てられぬ気の毒な樣子をして居たものである。
 其れだけに、丸で遊山船にでも乗った様な顏を()て居る此の男の(さま)如何(どう)にも理解(わか)りかねた。
 聞けば此の男、実の弟を(あや)めての沙汰との事である。何様(どう)云った行き掛りになって、()れ程の悪人を殺したにせよ、人の情として人を殺しておいて好い心持はせぬ筈である。実の弟ならば猶更であろう。
 ()うかと云って、此の色の蒼い痩男が、人の情と云うものが全く欠けている程の世にも稀な悪人である様にも思われない。()して、気が狂って居る者の様な、辻褄の合わぬ言語や挙動も何一つ無い。
 考えてみても考えてみても何も分からず、此の男は一体何様(どう)()たのだろうと庄兵衛は心中に只繰り返して居た。
 此の度の罪人、名を喜助と云う。
 京の北の端に寝起きしていた男であると聞いて居る。
 庄兵衛は考える(まま)一月(ひとつき)程前の事を思い出した。
 妻と諍いを起こし、家を出て足の向く儘歩いた末、其の場所に辿り着いたのであった様に思う。
 北の端の何も無い場所に。
 其処で御行に遇い、言葉を交わしたのではなかったか。
 ()うだ。
 ()うであったと庄兵衛は独り頷いた。
 何処かで聞いた気が()て居たが、此れが()の件の男であったか。
 するすると紐が解ける様に、其の時の事が鮮やかに甦る。
 (おのれ)は其処で得ると云う事に就いて考えて居たのだ。
 人の欲と云う物に就いて考えて居たのだ。
 何も無い場所で失う(ばか)りであったろう喜助と吉次に就いて考えたのだ。
 欲の生まれる処と、欲の生み出す物とに就いて考えたのだ。
 欲を無くす事と、欲を失くす事に就いて考えたのだ。
 ()()て――
 御行が(れい)を鳴らし、漸く弔いを、此岸(このよ)の最後の欲が満たされるを得て、殺された吉次は成仏出来たのではないかと庄兵衛は()う云ったのだ。
 成程(なるほど)と云って御行は暫く黙っていたが、不意に顔を上げて()う云ったのだった。
 するてェと殺した喜助は()だ何も得てねェんで御座居やしょうか。
 其の時――己は何様(どう)答えたのであったか。
 ()うかも知れぬと、云ったのではなかったか。
 庄兵衛は思いの(ふち)からはたと立ち返り、改めて喜助を見詰めた。
 喜助は庄兵衛の目線に気付くことなく、彼方(あちら)此方(こちら)に目を遣っては、感じ入る様に頷いたり、見入る様に眼を細めたり()て居る。
 此れが――
 何も得て来なかった、何も得られなかった男の姿であろうか。
 真実(ほんとう)に喜助は、何も得る事が出来なかったのであろうか。
 (とて)()うは見得なかった。
 ()うは云っても、真逆(まさか)、弟を殺める事で喜びやら仕合せやらを得た訳でもあるまい。
 何度見ても其の様な兇悪な者とは思えぬのである。
 庄兵衛は己の裡に湧き起こる感情(おもい)に堪えかねて、つい言葉を発して居た。
「喜助。お前何を思って居るのか」
 不意に名を呼ばれ、(はい)と云って喜助は己の辺りを見廻し、居住まいを正した。
 其の気色は、何事をか見咎められたのではないかと気遣う様であった。
 庄兵衛は却って戸惑った。思わず問を発して仕舞ったが、此れは本来在るべき役目を離れた物であり、又喜助を困らせる積もりの物では無かったからである。其処で己の動機を明かすのが好いと考え、言い訳がましくも、(いや)、別に子細(わけ)があって訊いたのではないと言葉を繋いだ。
「実はな、(おのれ)は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかったのだ。己は此れ迄、此の舟で大勢の人を島へ送った。其れは隨分色々な身の上の者であったが、誰も彼も島へ往くのを悲しがって、見送りに来て一緒に舟に乗る親類の者と夜通し泣くに()まっていた。(しか)しお前の様子を見れば、如何(どう)も島へ往くのを苦に()ては居ないようだ。一体お前は何様(どう)思って居るのだ」
 ()う問われて、喜助はにっこり笑った。
「御親切に仰って下すって有難う御座居ます。成程(なるほど)、島へ往くと云う事は、(ほか)の人には悲しい事であるのかも知れませぬ。其の心持はわたくしにも思い遣って見ることが出来ます。(しか)し其れは、わたくしに云わせれば世間で楽を()て居た人だからで御座居ます」
「楽を()て居た――とは」
 庄兵衛が()う問うと、喜助は(ことば)の通りで御座居ますと応えた。
「京都を離れ、島に往く事が辛く悲しい事であると云う事は、京都よりも島の方が暮らし難い処だと思って居るからで御座居ましょう。()(ほど)に京都は結構な土地では御座居ます。ですが、其の結構な土地で、此れ迄わたくしの致して参ったような苦しみは、何処へ参っても無かったろうと存じます」
 ですから、わたくしにとっては京都よりも島の方が住み好い処なので御座居ますと喜助は云った。
「わたくしは京都に居(なが)ら、此れ迄、何処と云って自分の居て好い所と云うものが御座居ませんでした。此の度お上のお慈悲で命を助けて戴き、島に居ろと仰って戴きました。島が()れ程(つら)い所でも、真逆(まさか)鬼の住む所では御座居ますまい。()うでありますならば、其の居ろと仰る所に落ち著いて居ることが出来ますのが、先ず何よりも有難い事で御座居ます。其れにわたくしは此んなにか弱い体では御座居ますが、ついぞ病気を致した事が御座居ません。其れならば、島へ往ってから、()の様な辛い仕事を()たって、体を痛める様な事は有るまいと存じます。其れから今度島へお遣り下さるに就きまして、二百文の鳥目を戴きました。其れを此処に持って居ります」
 ()う云い掛けて、喜助は胸に手を当てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣わすと云うのが、慥かに習いであった。
 と、喜助ははたと顔色を変えた。慌ただしく両の手を動かし着物の上からその感触を確かめる。其の手は胸から腹、背、袖、とばたばたと目まぐるしく動いたかと思うと、右の脇腹で止まった。()()てやっと、ほうと詰めていた息を吐いた。
「有りました」
 ()う漏らした声音から、何様(どう)やらその二百文を入れた胴巻きを探して居たらしいと知れた。
「此の、脇の方に落っこちて居りました」
 喜助は心の底から安堵した声で告げた。
 有り難や有り難や、もう落とさぬようにせねばと云って喜助は、見つけ出した胴巻きを再び丁寧に懐に入れ直し、上から何度も撫でる様に()て押さえた。
 ()()て喜助は(ことば)を継いだ。
「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云うお足を、()()て懐に入れて持って居た事は御座居ませぬ。わたくしは此れ迄、何処かで仕事に有り付きたいと思って仕事を尋ねて歩きまして、其れが見付かり次第、骨身を惜しまずに働きました。()()て貰った錢は、常時(いつも)右から左へ人手に渡さなくてはならぬ物でした。其れもお足で物が買って食べられる時はわたくしの工面の好い時で、大抵は借りた分を返して、又次を借りたので御座居ます。其れがお牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせて戴きました。わたくしは其れ(ばか)りでもお上に対して済まない事を致して居る様でなりませぬ。其れにお牢を出る時に、此の二百文を戴きましたので御座居ます。()()て相変わらずお上の物を食べて居りますれば、此の二百文はわたくしが使わずに持って居る事が出来ます。お足を自分の物に()て持って居ると云う事は、わたくしに取っては、此れが初めてで御座居ます。島へ往って見ます迄は、()の様な仕事が出来るか分かりませんが、わたくしは此の二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんで居ります」
 ()う云って、喜助は口を噤んだ。
 (うん)()うか、と庄兵衛は口に出して云いは()たが、聞く事々が余りに思いとは違い、此方(こちら)も暫く何も云う事が出来ずに、考え込んで黙って居た。
 庄兵衛は喜助の話を聞いて、喜助の身の上を(おの)が身の上に引き比べて見た。喜助は仕事を()て給料を取っても、右から左へ人手に渡して無くして仕舞うと云った。如何(いか)にも哀れな、気の毒な境遇である。(しか)し一転して(おの)が身の上を顧みれば、彼と(おのれ)との間に果たして()れ程の差が在るのだろうか。自分も上から貰う扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らして居るに過ぎぬではないか。
 ()()て見ると、彼と(おのれ)との相違は、謂わば十露盤(そろばん)の桁が違って居るだけなのである。
 慥かに桁を違えて考えて見れば、鳥目二百文でも喜助が其れを貯蓄と見て喜んで居るのに無理は無い。其の心持は此方(こちら)から察して遣る事が出来る。
 (しか)し、如何(いか)に桁を違えて考えて見ても、不思議なのは喜助の欲の無い事、足る事を知って居る事である。
 喜助は世間で仕事を見付けるのに苦しんだ。其れを見付けさえすれば、骨身を惜しまずに働いて、(ようよ)う口を糊()る事の出来るだけで満足した。
 牢に入ってからは、今まで得難かった食が殆ど天から授けられる様に働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知らぬ満足を覚えた。
 庄兵衛は如何(いか)に桁を違えて考えて見ても、此処に彼と(おのれ)との間に、大いなる懸隔の在る事を知った。(おのれ)の扶持米で立てて行く暮らしは、折々足らぬ事が有るにしても、大抵出納が合って居る。手一杯の生活である。(しか)るに其処に満足を覚えた事等無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過して居る。
 (いや)、其れでも心の奥底に在るのは満ち足りた倖せではなく、恐らく不安や不満なのだろう。其れが欲を生み、又欲が新たな不安や不満を生んで居るのであろう。
 一体此の懸隔は何様(どう)()て生じて来るだろうと庄兵衛は考えた。只上辺だけを見て、其れは喜助には身に係累が無いのに、(おのれ)には有るからだと云って仕舞えば其れ迄である。(しか)し其れは実体とは程遠い様である。喜助にはつい先頃迄養うべき弟が居たのであるし、逆様(はんたい)(おのれ)が一人者であったとしても、如何(どう)にも喜助の様な満ち足りた心持には成られそうにない。此の根柢はもっと深い処に在る様だ。
 庄兵衛は此れ迄、生きると云う事は倖せを追うと云う事であると考えて来た。倖せを手にしたいと想うのは一種(ひとつ)の欲であると考えて来た。則ち生きると云う事は欲と隣り合わせであり、従って何かしらの不満と共に在り続ける事と考えて来た。
 (しか)し目の前に()うも満ち足りた(てい)で生きる喜助を見るにつけ、如何(どう)も其れは違う様にも思えて来た。次から次へと湧き起こる欲に流されるのではなく、其の前で踏み止まって見せ、満ち足りて倖せに生きる(すべ)も在るのだと、()う身を以て教えて呉れるのが喜助なのだと云う気がしたのである。
 庄兵衛は喜助の顏を見守りつつ又、喜助さんと呼び掛けた。云ってから此の呼び名が不適当なのに気が付いた。今度は敬称(さん)を付けて仕舞ったが、此れは十分の意識を以て呼び名を改めた訳ではない。只()う、口を衝いて出て仕舞ったのだ。(しか)し、今更既に出た言葉を取り返す事も出来なかった。
 (はい)と答えた喜助も、敬称(さん)を付けて呼ばれたのを不審に思うらしく、恐る恐る庄兵衛の気色を(うかが)った。庄兵衛は少し間の悪いのを堪えて云った。
「色々の事を聞くようだが、お前が今度島へ遣られるのは、人を(あや)めたからだという事だ。(おのれ)(つい)でに其の子細(わけ)を話して聞かせて呉れぬか」
 喜助は酷く恐れ入った樣子で、畏まりましたと云った。
「どうも飛んだ心得違いで、恐ろしい事を致しまして、何とも申し上げようが御座居ませぬ。後で思って見ますと、如何(どう)()()んな事が出来たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中で致しましたので御座居ます。わたくしは小さい時に二親が流行り病で亡くなりまして、弟と二人跡に残りました。始めは丁度軒下に生れた狗の子に不憫を掛けるように周りの人達がお恵み下さいますので使い走りなどを致して、飢え凍えもせずに育ちました。(ところ)がわたくしとは違い、弟は体が弱かったので御座居ます。何時(いつ)の頃からか弟は病みつきまして、十分に働けぬ様に成りました。其の為、次第に大きく成りまして職を捜しますにも、成丈(なるたけ)二人が離れない様に致して、一緒に居て、助け合って暮らす様に致しました。去年の秋の事で御座居ます。わたくしは西陣の織場に入りまして、空引(そらびき)と云う事を致す事に成りました。弟が肺病を患って居た為わたくし共は町中には住めず、仕方無しに北山の堀立小屋同様の所に寝起きを致して、紙屋川の橋を渡って織場へ通って居りましたが、わたくしが暮れてから食い物などを買って帰ると、弟は待ち受けて居て、わたくしを一人で稼がせては済まない済まないと申して居りました。或る日、普段(いつも)の様に何心無く帰って見ますと、弟は布団の上に突っ伏して居まして、周囲は血だらけなので御座居ます。わたくしは仰天(びっくり)致して、手に持って居た竹の皮包や何かを、其処へ置っ放り出して、傍へ寄り(なが)ら、何様(どう)()何様(どう)()たと申しました。すると弟は真っ蒼な顏の、両方の頬から(あご)へ掛けて血に染まったのを挙げて、わたくしを見ましたが、物を云うことが出来ませぬ。息を致す度にひゅうひゅうと云う音が致すだけで御座居ます。わたくしには何様(どう)も様子が分かりませんので、何様(どう)()たのだい、血を吐いたのかいと云って、更に詰めようと致すと、弟は右の手を床に衝いて、少し身体を起こしました。左の手は確乎(しっかり)(あご)の下の所を押えて居りますが、其の指の間から黒い血の固まりがはみ出して居ます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留める様に()て口を利きました。(ようよ)う物が云えるように成ったので御座居ます。()()て、苦しい息の下()う申しました。済まない。何卒(どうぞ)堪忍して呉れ。どうせ治りそうにも無い病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ。喉笛を切ったら直ぐ死ねるだろうと思ったが息が其処から漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力一杯押し込むと、横へ滑って仕舞った。刃は毀れは()なかった様だ。此れを旨く抜いて呉れたらおれは死ねるだろうと思って居る。物を云うのも辛くっていけない。何卒(どうぞ)手を借して抜いて呉れ、と。弟が左の手を弛めると其処から又息が漏ります。わたくしは何と云おうにも、声が出ませんので、黙って弟の喉の(きず)を覗いて見ますと、何でも右の手に剃刀を持って、横に笛を切ったが、其れでは死に切れなかったので、其の儘剃刀を、(えぐ)る様に深く突っ込んだ物と見えます。柄がやっと二寸ばかり創口から出て居ます。わたくしは其れだけの事を見て、何様(どう)()ようと云う思案も付かずに、弟の顏を見ました。弟は(じっ)とわたくしを見詰めて居ます。わたくしはやっとの事で、待って居て呉れ、お医者を呼んで来るからと申しました。弟は怨めしそうな目付きを致しまして、又左の手で喉を確乎(しっかり)押えて、医者が何になる、嗚呼苦しい、早く抜いて呉れ、頼むと云うので御座居ます。わたくしは途方に暮れた様な心持に成って、只弟の顏ばかり見て居ります。此んな時は不思議な物で、目が物を云います。弟の目は、早く()ろ早く()ろと云って、さも怨めしそうにわたくしを見て居ます。わたくしの頭の中では、何だか()う車の輪の様な物が繰々(ぐるぐる)廻って居る様で御座居ましたが、弟の目は恐ろしい催促を止めません。其れに其の目の怨めしそうなのが段々険しく成って来て、とうとう敵の顏をでも睨む様な、憎々しい目に成って仕舞います。其れを見て居て、わたくしはとうとう、此れは弟の云った通りに()て遣らなくてはならないと思いました。わたくしは、仕方がない、抜いて遣るぞと申しました。すると弟の目の色がからりと変わって、晴やかに、さも嬉しそうに成りました。わたくしは何でもひと思いに()なくてはと思って膝を撞くようにして身体を前へ乗り出しました。弟は衝いて居た右の手を放して、今迄喉を押えていた手の肘を床に衝いて、横に成りました。わたくしは剃刀の柄を確乎(しっかり)握って、ずっと引きました。此の時、内から閉めて置いた表口の戸を開けて近所の婆さんが入って来ました。わたくしが留守の間、弟に薬を飲ませたり何かして呉れる為に通って呉れる婆さんなので御座居ます。もう大分家の中が暗くなって居ましたから、わたくしには婆さんが()れだけの事を見たのだか分かりませんでしたが、婆さんは(あっ)と云った()り、表口を開け放しに()て置いて駆け出して仕舞いました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、真っ直ぐに抜こうと云うだけの用心は致しましたが、何様(どう)も抜いた時の手応えは、今迄切れて居なかった処を切った様に思われました。刃が外の方へ向いて居ましたから、外の方が切れたので御座居ましょう。わたくしは剃刀を握った(まま)、婆さんの入って来て又駆け出して行った其の跡を茫洋(ぼんやり)見て居りました。婆さんが行って仕舞ってから、気が付いて弟を見ますと、弟はもう息が切れて居りました。創口からは大層な血が出て居りました。其れから年寄衆がお出になって、役場へ連れて行かれます迄、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分見開いた(まま)死んで居る弟の顏を見詰め居たので御座居ます」
 少し俯向き加減に成って庄兵衛の顏を下から見上げて話して居た喜助は、()う云って仕舞って視線を膝の上に落した。
 聞き終えて、庄兵衛は(ああ)とも(うん)とも云えずに、只黙って居た。
 喜助の話は能く条理が立って居る。殆ど条理が立ち過ぎて居ると云っても好い位である。此れは半年程の間、当時の事を幾度も思い浮べて見たのと、役場で問われ、町奉行所で調べられる其の度毎に、注意に注意を加えて浚って見させられたのとの為であろう。
 庄兵衛は其の場の様子を目の当たり見る様な思いをして聞いて居たが、此れが果たして弟殺しと云う物だろうか、人殺しと云う物だろうかと云う疑いが、話を半分聞いた時から起こって来て、聞いて仕舞っても、其の疑いを解く事が出来なかった。弟は剃刀を抜いて呉れたら死なれるだろうから、抜いて呉れと云った。其れを抜いて遣って死なせたのだ、殺したのだとは云われる。(しか)し其の(まま)()て置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。其れが早く死にたいと云ったのは、苦しさに耐えなかったからである。喜助は其の苦しみを見て居るに忍びなかった。苦しみから救って遣ろうと思って命を絶った。其れが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。(しか)し其れが苦から救う為であったと思うと、其処に疑いが生じて、何様(どう)()ても解けぬのである。
 (しか)し、此ればかりは喜助自身に問い質すことの出来ぬ疑いである。庄兵衛は心の裡に色々に考えて見た末、自分より上の者の判断に任す外ないと云う(おもい)に至った。お奉行様の判断を、其の儘(おのれ)の判断に()ようと思ったのである。()うは思っても、庄兵衛は未だ何処やらに腑に落ちぬものが残って居るので、何時(いつ)機会(とき)があればお奉行様に聞いてみたくてならなかった。

 次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面を滑って行った。


  top  
prev index next


novel (tag)
prev
index
next
※message
inserted by FC2 system