雷獣――と云う妖物(ばけもの)が居る。
 体長二尺余り。仔犬(ある)いは狸にも似て、尾が七八寸。全身に赤黒き体毛が乱生し、髪は薄黒に栗混じり。眼は円形で、耳は小さく鼠に似る。四足には鋭き爪と水掻きを有する。雷雨に遇いては雲に乗り、誤ちて墜ちる際には樹を引き裂き、人を害したと云う。
 其の他にも様々に伝えられては居るが、(まと)めるに(おおむ)ね此の様に成る。
 雷獣とは神鳴(いかづち)と伴に人を害する獣なのである。
 一説には、神鳴(いかづち)(たわむ)れて居るだけであり、神鳴(いかづち)()んで居る訳では無いとも云う。
 (しか)し、雷獣が顔を出すと云う事は神鳴(いかづち)が降ると云う事でもあり、不吉の予兆である事は間違い無いと云って好かろう。
 其の雷獣を見た、と云うのである。
 見たと最初(はじめ)に口に出したのは誰かは知れぬ。
 知れぬが、誰かが()う云えば、我も我もと幾人もが同調()た。
 山家清兵衛の死依り二年。
 参勤交代の帰途の事である。
 参勤交代は江戸と国元を一年措きに行き来する長旅である。
 宇和島から江戸(まで)は二百五十五里程。
 大人の脚でも一月は掛かる。
 加えて行列は四百人前後の大所帯。
 資金も一千両程は要った。
 更に、道程の長さもさること(なが)ら、険しさも並大抵では無い。
 四国と江戸は陸続きでは無いのである。
 従って、否応無く船旅は避けられぬ。
 藩主の乗る御座船を始め、三十五艘もの仕立船が宇和島を発ち、室津に着く(まで)十日程も海原を行かねばならぬ。
 其れも、運が好ければの話である。
 雨風に依って停船を余儀無くされれば十日では済まぬ。
 (いや)、済む済まぬの話では無い。
 若し大嵐にでも遭えば命の危険すら有るのである。
 宇和島の西に在る半島、佐多岬を挟む宇和海、伊予灘は干満の差が激しく、(こと)に潮流の速い半島の先端を通る海路は難所として名高い。
 此処で嵐に出会(でくわ)せば命は無い物とすら考えねばならぬ。
 故に凪いで居ようが荒れて居ようが半島の手前で一度(ひとたび)上陸し、藩主一同は陸路を駕籠で行き、無事岬を廻った空船に再び乗ると云う面倒な手順を踏む事を慣例と()て居た程である。
 (しか)()()(まで)も、江戸と国との往復は()ねばならぬ事なのである。
 時は皐月。
 颱風(たいふう)が来るには未だ早い。
 (しか)し雷雨は時を選ばぬ。
 船は各浦から選び抜かれた水夫(かこ)共に依る()漕ぎか、風の有る時は帆を張った。
 (しか)し、余りに風が強ければ帆は破れ、波が高ければ櫓は取られる。
 故に、嵐の海に出て仕舞ったが最後、人は無力である。
 ならば何故敢えて嵐の中出立()た。遅らせれば好かったろうと()る向きも有ろう。(しか)し、(こと)参勤交代に措いては、其れも叶わぬ話なのである。
 参勤交代は掛けて好い日数と、通って好い道筋が決められて居るのだ。
 其れを守る為には時として無理を通さねばならぬ。
 覚悟を決めて室津を出た(まで)は未だ好かった。
 折しも吹き出した南風に煽られ、波風は高く成り、最大の難所たる佐多岬は(おろ)か、其の手前の三机(みつくえ)の御仮屋(まで)も辿り着く事は難しく見え、海原で御座船は立ち往生()て居た。
 甲板に叩き付ける雨脚は激しく、吹き荒れる風と(なぐ)り付ける波とに船は()(すべ)も無く揺す振られた。
 (にわか)に掻き曇った空は真っ暗で一筋の光も無く、周囲(あたり)に見える物(など)何一つ無く、舵を切ろうにも船を進めようにも如何(どう)()ようも無い有様であった。
 海を能く知る水夫(かこ)共は震え上がり、只管(ひたすら)に神仏に祈り、(すが)った。其れしか出来ぬと知って居たからだ。
 腹の据わらぬ足軽共は、雷の音が響けば肝を潰し、船が揺れれば悲鳴を上げ、此の(まま)では放って措いても勝手に狂い死んで仕舞うのでは無いかと云う様子であった。
 誰かが云った。
 だから船を出すのは止めるべきであったのだと。
 出来無い相談である。
 其の様な事は誰もが分かっていた。
 其の上で()らねばならぬから船を出したのだ。
 (しか)し、()う云い出して仕舞えばもう止める事は出来無かった。
 其れを云うなと誰かが怒鳴り、でも()うじゃねえかと誰かが返し、()うだ()うだと誰かが同調し、死にたくねえよと誰かが叫び、縁起でもねえ事云うんじゃねえと誰かが制し、船の中は阿鼻叫喚の有様であった。
 其れらの喧噪は家老、重臣の処(まで)届いては居たが、此方(こちら)は痩せ我慢(なが)ら、未だ静寂を保った風であった。
 誰と無く彼と無く、不安気(ふあんげ)に軋む船壁を見上げ、水音轟く天井を仰ぎ、激しく揺れる床板を眺めては居たが、其の不安を口に()て仕舞えば取り返しが付かぬ。()う云った何とも云えぬ緊張感が漂って居た。
 雷獣を――
 と誰かが堪えかねた様に、囁く様に云った。
 雷獣を見たと申して居りましたな。
 ほう誰が見たのだ。
 と隣同士、低い声で話が始まる。
 (いえ)水夫(かこ)の誰かが云って居た様に思うのですがな。
 真実(ほんとう)に見たのであろうかな。
 分かりませぬ。
 ()()て再び沈黙。
 其れに()ても雷獣とは不吉な。
 (やや)有って、今度は違う誰かが口を開く。
 故に此れ(まで)敢えては口に()なんだのだろう。
 ()う隣が応じる。
 此の雷雨とも成れば、雷獣を見たとて不思議は有りますまいな。
 真実(ほんとう)何様(どう)かは分からぬがな。
 (たし)かに。
 ()()三度(みたび)沈黙。
 いっそ、此の船だけでも岸に着けると云うのは如何(いかが)ですかな、と又他の誰かが口を開いた。
 (さて)、岸辺も分からぬ此の荒れ模様、其れが出来ますやら。
 (いや)、出来る出来ぬ依りも、御許し戴けるか何様(どう)かでありましょうな。
 左様左様。
 ()()て又も沈黙。
 不吉と云えば――
 びくり、と幾人かが続く言葉を察し、身を震わせた。
 おい、と制止の声を上げようと()た者も在った。
 (しか)し誰の物とも知れぬ声は止まらなかった。
 此れは()しや天祥院様の祟り(なぞ)と云う事は――
 其の声で、はたと船の中は静まり返った。
 天祥院様とは、云わずと知れた山家清兵衛公頼公の諡名(おくりな)である。
 神鳴(いかづち)は神の火であり、神の怒りであると云う。
 (ふる)くは菅原道真公の話に有る様に、度を過ぎた怨霊とて、天依り神鳴(いかづち)を投げ降ろす。道真公が内裏、清涼殿及び紫宸殿に神鳴(いかづち)を落として怨みを晴らさんと()た逸話は誰もが知る処である。
 故に、此の嵐も清兵衛の荒ぶる御霊(みたま)()した物と考えても不思議は無いのである。
 ええい無礼者め、と気合を吐いたのは家老、大津右近であった。
 此れが藩主、伊達秀宗公の御座船、秀宗公の御前と知っての()れ言か、もう我慢がならぬ。今口を利いた者、叩き斬って呉れるから其処へ出よ。
 ()ういきり立つ右近を、好い、と云う声が(しず)かに制した。
 此の嵐を怖れるなと云う方が無理であろう。
 と云ったのは、当の伊達秀宗であった。
 (いや)(しか)し――
 釈然と()ない面持ちで応じる右近に、秀宗は、好いと云って居る、と面白くも無さそうに云った。
 渋々と右近も座に着く。
 者共(ものども)――
 と、秀宗は(しず)かに云った。
 此の嵐が恐ろしいか。
 誰もが(うん)とは云えず、押し黙った。
 (しか)し秀宗は其れに頓着する風も無く、淡々と続けた。
 恐ろしいと思うのも無理は無い。何も頼る物の無い海の上、如何(どう)()たら好いか分からぬのであれば、成程(なるほど)、此れ依り恐ろしい事は()う在る物でも無いかも知れぬ。
 恐ろしさに(とら)われれば、現実に目を(つぶ)り、有り得ぬ事(ばか)りを思い描いて仕舞う事もあろう。
 (しか)し――
 能く考えて見よ。
 余の船依り先に御馬船が先進(すす)んで居る。
 余の船依り後から伴の船が追従(つい)て来る。
 我らは独りでは無い。
 そして先に行く者を追い、後から来る者を()かねばならぬ責が有る。
 頼れる者が在り、()るべき事も分かって居る。
 其れならば何の恐ろしい事が有ろうか。
 嵐を恐れ、岸を求め、縦令(たとえ)独りで生き延びたとして何に成る。
 独りでは何も出来ぬのだ。
 必ずや臣下の船と伴に在るべし。
 其れが生きる道であろう。
 ()う云って、秀宗は笑みを浮かべた。
 者共(ものども)――
 明けぬ夜は無いぞ。
 其れは清兵衛の祟り等には負けぬと云う意地であったのやも知れぬが、大いに家臣を勇気付けた。
 秀宗の云う通り、一夜明けて見ると昨晩の嵐が嘘であったかの様に、凪いだ海が目の前に開けて居た。
 あわや転覆かと云う大揺れに何度も襲われたが、御座船は辛くも虎口を脱したのであった。
 ()()三机(みつくえ)の港に入り、御仮屋に居を置いた秀宗は、晴れ晴れとした表情(かお)で並み居る家臣達を見回した。
 大義であった。
 ()う、秀宗は第一声(ねぎら)った。
 して、昨晩の嵐の被害は如何(いか)(ほど)か。
 お恐れ(なが)ら申し上げます、と進み出たのは侍大将、桜田玄蕃であった。
 仕立船三十五艘の内、只一艘のみ、落雷にて砕け、転覆致して御座居ます。幸い近くの船等より(たす)けを出した為、水夫(かこ)らを含め三十四名は(たす)かったのでは御座居ますが――
 其処で玄蕃は、(わず)かに云い淀む。
 何様(どう)した、と秀宗に急かされ、玄蕃は、意を決して口を開いた。
 宇和島伊達家家臣、松浦(まつうら)弥市兵衛(やいちべえ)一人のみ、水死致しまして御座居ます。
 何と、と多くの者が息を呑む。
 玄蕃が云い淀んだのも道理。
 此の度の嵐は山家清兵衛の祟りでは無いかと口性(くちさが)無い者達は云う。
 投げ降ろされた稲妻(かみなり)は清兵衛の怒りでは無いかと噂する。
 そして――
 其の稲妻(かみなり)()り殺された唯一の犠牲者は、あろう事か桜田玄蕃の腹心の部下の一人であった。

 同年の水無月の末。
 山家清兵衛公頼公の三回忌が正眼寺にて大々的に執り行われた。
 曲がりなりにも清兵衛は親元仙台伊達家依り(つか)わされた惣奉行。立場を考えれば其の扱いは当然と云えよう。
 更に、上意討ちが真実(まこと)か否かは(さて)置き、其処に端を発する一件から改易騒ぎに(まで)至り、今猶多くの取り成しが陰に日向に行われて居る手前、伊達秀宗を始めとし、桜田一派の主立った家老家臣達も内心は何様(どう)在れ参列せずには済まぬ。
 (いや)(むし)ろ敢えて此処で大々的に法要を行う事で、対外的にも示しを付けよう、(ある)いは清兵衛の祟りを避けようと云う(おもい)が有ったと考えても相違無かろう。
 ()()て、山家清兵衛公頼公(こと)天祥院殿心渓常涼大居士の第三回法要は上から下まで数多(あまた)の参列者を得て営まれた。
 朗々と読経の声が正眼院に響き渡り、誰もが温順(おとな)しく(こうべ)を垂れた。
 其の荘厳且つ厳粛な法要の場に、下々の者で在りし日の清兵衛の恩を思わぬ者は無く、又清兵衛を疎ましく思って居た家臣の中にも思いを改める者すら在る様であった。
 (しか)し、読経も半ばを過ぎようかと云う頃合いに成り、天が(にわか)に掻き曇った。
 突然(いきなり)の暗転に思わず天を仰ぐ者、不安気(ふあんげ)周囲(あたり)を見回す者、一心に祈る者と反応は様々であったが、誰もが何かが起きるのでは無いかと不穏を感じて居る様であった。
 其の予感は正鵠(ただ)しかった。
 重く低く立ち籠める暗雲の中に轟轟(ごろごろ)と雷鳴が唸りを轟かせた。
 其れは今にも己の頭上に降り注ぐのでは無いかと人々を恐れさせた。
 真逆(まさか)清兵衛の怒りは未だ晴れぬと云うのか、と玄蕃は思った。
 (しか)し、正しかろうと正しくなかろうと清兵衛が討たれたのは上意である。(すく)なくとも()うであると玄蕃は思って居る。
 武士たる者、主君の命には諾と従うが奉公の道。
 其処を曲げては武士として成り立たぬ。
 ()うであろう。
 玄蕃は隣に座る鈴木軍治に目配せを()た。
 其れを受け、軍治は小さく頷いてやおら立ち上がった。
 (おのれ)、山家清兵衛、迷うて出たか。
 と、軍治は大喝した。
 此処を何処と心得る。
 己の主君、伊達秀宗公の御前なるぞ。
 生前の大恩を忘れ、見当違いの逆恨み、神仏を気取って稲妻(いかづち)を投げ降ろさんと()るは不届き千万である。
 其処へ直れ、叩き斬って呉れるわ。
 云うなり大刀を抜き放ち、法堂依り表へと飛び出した。
 其の刹那、(ああ)と思う間も無く一筋の稲妻(かみなり)が軍治目掛けて天を貫いた。
 どう、と軍治は横倒しに倒れた。
 正眼院は蜂の巣を突いた様な騒ぎに成った。
 心当たる者は我先にと門へ殺到し、逃げ惑った。
 其処此処で叫び声が、怒声が上がり、正眼院は混乱の坩堝(るつぼ)であった。
 其の中に在って、境内を埋め尽くす領民達は只管(ひたすら)(こうべ)を垂れて祈り続けた。
 二度、三度と稲光が閃いたが、誰に当たったかは知れなかった。
 立ち籠めた暗雲は、訪れた時と同じ様に瞬く間に晴れた。
 射し込む光は(まばゆ)く、先程(まで)の騒ぎ(など)何も無かったかの様であった。
 逃げ惑った家臣達とは逆態(はんたい)に、秀宗は法堂から動かずに居た。
 下手に表に出るより安全であると知って居たからでもあろうし、此処で動じてはならぬと自身を戒めたからでもあろう。
 住職の読経が終わる。
 秀宗は玄蕃に後程(のちほど)被害を報告致せ、と小さく云い付け、焼香に立った。

 調べに依ると、稲妻(かみなり)に打たれた鈴木軍治の他、米沢茂左衛門、三好兵馬、茶坊主城都、山家(やんべ)家下北町の足軽の内、清兵衛誅殺に荷担した者ら八名等、(いず)れも桜田一派の者が遺体で発見された。
 明らかに稲妻(かみなり)に打たれた処を見られたのは鈴木軍治一人であり、足軽等は恐慌の末に風に煽られた幕に巻かれての同士討ちであったが、其の他の者は目立った外傷は無く、軍治を打った雷獣の余波を喰らったか、(いず)れにせよ尋常で無い事態であった。
 此れも山家清兵衛の祟りでは無いかと、多くの者が噂した。
 続く雷災に、流石の秀宗も多少は参った様であった。
 (しか)も其の犠牲と成ったのが(ことごと)く桜田玄蕃の息の掛かった者(ばか)りなのだ。
 何かが有るとしか思えぬ。
 秀宗は自身の目付役である桑折左衛門景頼を呼び、胸の裡を打ち明けた。秀宗は、景頼が清兵衛を高く評価()て居り、清兵衛襲撃の後にも(かげ)(なが)ら埋葬の手配等に尽力()た事は知って居た。(しか)し、景頼は忠義の徒である。現に宇和島藩が改易を免れたのも、景頼の尽力に依る処も大きいのである。故に、口(うるさ)い清兵衛程では無いにしても景頼を鬱陶しいと思う事も有ったが、其れ以上に信を置いて居たのであった。
 自身の居城、河原渕領河後森城依り呼び出された景頼は、秀宗の意を受け、()う答えた。
 此れが山家公頼殿の祟りであるか何様(どう)かは分かりませぬ。
 分かりませぬが、少なくとも公頼殿の(あつか)いを改めるべきでは御座居ましょう。
 秀宗殿も真実(ほんとう)は分かっておいでの筈。
 公頼殿は決して悪意有って口(うるさ)()れて居た訳では御座居ませぬ。
 秀宗殿の御為(おんため)を思い、憎まれ役を買って出たに過ぎませぬ。
 其れを討ち、(あまつさ)正面(まとも)には弔わせず、西の谷に打ち捨てた(まま)に致すのは、天の道に(もと)る行いに御座居ます。
 ()真実(ほんとう)に公頼殿がお怒りなので御座居ましたら、此れにて収まるやも知れませぬ。
 (いえ)、仮に公頼殿のお怒りで無かったとしても、此れは必ずや()るべき事に御座居ます。
 ()う致しますれば、公頼殿の御加護を得て、騒ぎも収まりましょう。
 ()う云われて秀宗は、相分かったと頷いた。
 なれば其の大役、誰に任せるが好かろうか。
 手前(てまえ)が引き受けても宜敷(よろし)う御座居ますが、と景頼は(すこ)し思案する様子であった。
 秀宗殿と命運を伴に()ると誓われた、信の措ける忠臣を選び、御任せ()るが好かろうと存じます。さすれば其の者、己の身命を賭して必ずや(しっか)りと(まつ)って呉れましょう。
 成程(なるほど)、と秀宗は頷いた。
 其れでは神尾(かんお)勘解由(かげゆ)に任せよう。
 秀宗が()う云うと、景頼も頷いた。
 宜敷(よろし)いかと存じます。神尾勘解由は秀宗殿が身罷(みまか)られれば必ずや殉じると云う程の忠義者。不足は無いかと存じます。
 お主も手を貸して呉れような、と確かめる様に秀宗が問い、景頼は、云う迄も無き事に御座居ます、と頭を下げた。
 微力(なが)ら精一杯勤めさせて頂きます。
 ()()て、神尾勘解由の手配の下、山家清兵衛公頼公は児玉(みこたま)明神(みょうじん)として既に領内に在った竈神の社隅に祠を立て、祀られる事と成った。
 桑折左衛門景頼は此れを見届け、安堵したのか、息子宗頼に家督を譲り、隠居の身と成ったが、程無くして彼岸へと旅立った。

 此れ依り十年程、山家清兵衛の祟りはふっつりと止んだ。


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