終【裏】

 頼む、話を聞いて呉れ、と男は云った。
 頸筋に(ひや)とした感触。刃物か何かを宛がわれて居ると知れる。
「悪意は無い。害意も無い。其の証拠(あかし)に伴も居らぬ。騙す心算(つもり)等毛頭無い。腰の物も捨てて好い。存分に身を(あらた)めて好い。頼む」
 大きな声を出すな、と囁く様な声が吹き込まれる。
 耳を澄ましても、慥かに物音一つ無く、辺りに人の気配は無い様であった。
 其れを確かめて、背後に張り付いて居た影の様な男は、(しず)かに(ただ)した。
 何故、跡を()けた。
如何(どう)()ても訊ねたい儀が在ったのだ」
 訊ねたい儀、だと、と男は問い、ぐいと手に力を込めた。
「他意は無い。余所には漏らさぬ。追っ手も掛けぬ。其の心算(つもり)ならば(ほか)に幾らでも()り様は在ったであろう。()うでは無いからこそ、独りで此処に居るのだ。其れを汲んでは貰えぬか」
 ()う云われても、男は(いささ)かも感銘を受けた風は無かった。
 此方(こちら)は何も話す事は無い、とにべもなく云う。
()う云うな。此の通りだ。御主――御主の名は本多儀左衛門であろう」
 人違いだ。
「其の様な筈は無い。一度見た人の顔は見忘れぬ。如何(いか)に姿形を変えようと、御主は本多儀左衛門に相違無い」
 違うと云って居る。
(いいや)、違うまい。好いか、昨刻(さっき)から云う様に、己は本多儀左衛門に訊ねたい儀が在るのだ。其の為には、此の(まま)では手配も()むを得ぬ処。本多儀左衛門の人相書き、諸国に散撒(ばらま)くも仕方無き処。其れを()て居らぬ事を恩に着よ――」
 頸に触る圧が上がる。
「――と(まで)は云わぬ。真実(ほんとう)だ。()(まで)は云わぬ。只、追っ手が掛からぬ様に()の場を誤魔化した己に多少なりとも恩義を感じて呉れるならば、頼む。話を。御主とて厄介事は好む処では無かろう」
 暫しの沈黙が流れる。
 ()()て、(すこ)しだけ頸筋の圧が減った。
 ふと、空気が緩む。
 (なり)振り構ってられねェ、てェ風で御座居やすね、とがらりと口調が変わる。
()うだ。此の機を逃しては二度目は無かろう。なればこそだ」
 天下の名奉行、大岡越前様ともあろう御仁(おひと)が、其処(まで)思い詰めやすか。
「何とでも云うが好い」
 声の端に苦味が混じる。其れは揶揄(からか)う様な口調の所為(せい)か、或いは()うも淡然(あっさり)と己の正体が見抜かれて居た為か。(しか)し其れこそ関係無いと云うかの様に、背後の男は続けた。
 てェ(こた)ァ、()れァ御奉行様の描いた仕掛け、てェ訳で御座居やすか。
()うとも云えるし、()うで無いとも云える。(いず)れにせよ、摂家宮家に(ゆかり)有りと(かた)った男にまんまと騙された等と、表沙汰に()よう物なら不敬不遜の謗りを受けよう。其の様な事、出来よう筈が無い。加えて、首謀者の一人が生死不明の(まま)では幕を引くに引けぬ。何依り、未だ聞きたい事も山の様に在った。故に、人を入れ替えた」
 ()う云った途端に、頸筋に噴き出した様な吐息が掛かった。
「――何故嗤う」
 此方(こっち)の話で御座居やすよ。詮索は無しに()て戴きてェ。
 再び頸筋に圧を感じ、背筋に冷や汗が伝う。
「分かった。無駄口は叩かぬ。其れで、己が云い出さずとも、山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)の存在を秘して牢に置き、藤井左京を常楽院天忠の身代わりと()て沙汰を下す事に成って居た。無論、御主は()う悟って居たであろうが――其れでも、確かめに来るであろうと、己は踏んで居た故に反対も()ず、又誰にも明かさずに独り番を張った」
 成程(なるほど)、と男は頷いた風であった。
 八山旅館から見付かったなァ結局顔も身元も知れねェ(むくろ)で御座居やしたンでね。
()うだ、進退(きわ)まって常楽院天忠が火を掛けた、と考えては居るが、遺骸が上がって居らぬ。故に、其の常楽院に遠島の沙汰が下ったと大々的に喧伝()れば、御主は確認()ずには居れまいと、()う考えた」
 まんまと釣り出されやしたぜ、と男が云うと、忠相は、此れで(すこ)しは名誉挽回出来たと云う物、と引き攣った様に小さく嗤った。
(さき)の吟味では己は好い処無しであった故」
 気落ち()(こた)ァ御座居やせん、と男は珍しく慰めの様な(ことば)を口に()た。
 ()れァ裏の渡世に余程通じて居なけりゃァ無理な相談で御座居やす。御奉行様で無くても(おんな)じだったかと。
()う云って貰えると気も安まる」
 其れで、と忠相は続けた。
()ずお聞かせ願いたい。()の天一坊改行は、真実(ほんとう)に贋者であったのであろうか」
 其りゃァ何方(どっち)でも好い事じゃァ御座居やせんか、と男は吐き捨てる様に云った。(そもそ)此方人等(こちとら)、お尋ねの儀に答えるたァ云っちゃ居りやせんぜ。
 ()う云われて、忠相は(ことば)に詰まる。其れを見て、嘲る様に男は続けた。
 大体、此方(こっち)(ほら)ァ吹いても御奉行様にゃ確認する(すべ)も御座居やせんや。頭から鵜呑みにも出来ねェだろうし、聞いても何ンにも成りゃァ致しやせん。
「其れは()うだが」
 其れでも気に成るのだ、と忠相は小さく云った。
(そもそ)も御主には、嘘を吐く理由が有るまい。(いや)()しんば有った処で彼様(ああ)(まで)見事に手玉に取られる手際を見れば、鵜呑みに信じるより(ほか)無いでは無いか」
 じゃァ伺いやすが、真者(ほんもの)だったと云って、其れを信じた処で、何かが変わりやすか。
「――変わらぬ。無論、真実が何方(どちら)であろうとも、仮令(たとえ)彼奴(あやつ)真者(ほんもの)であったとしても、贋者と決まって仕舞った事は覆らぬ。故に、贋者である以上の答は要らぬ。要らぬが――」
 其れでも気に成るのだ、と云う声は消え入りそうに小さい。
 気に()ても仕方が御座居やせんよ、と男は応じた。
 其れでも聞きてェと。
「其れでも聞きたいのだ」
 ヤレヤレ、思って居たより人格(ひと)が頑固だ。
 頑固で――(あめ)ェ。
 降参だとでも云う様に、男は小さく息を吐いた。
 彼奴(あいつ)ァ正真正銘、悪僧宝沢。贋者も贋者、真っ赤な贋者で間違い御座居やせんよ。
「矢張り()うか」
 忠相は重石(おもし)が一つ除かれた様な晴れ晴れとした顔で頷いたが、(すぐ)に思い出した様に眉を顰めた。
(しか)し、()うであるならば次の疑問が湧く。何故、彼奴(あやつ)は上様の、誰も知る筈の無い身体の特徴を知って居たのか。天一坊の背後に黒幕が居ると云う話だったが、詰まりは其奴(そやつ)()の入れ知恵、と云う事か。では其奴(そやつ)()何様(どう)遣って其れを知ったのか。其奴(そやつ)()は一体何者なのか。(いや)――(そもそ)(くだん)の上様の(せな)の星は、真実(ほんとう)に在るのか」
 堰を切った様に出ておいでだ。聞きてェ(こた)ァ尽きねェ様で御座居やすね、と男は含み嗤いで云った。
 仕事終わりに、何故(なんで)だ、何様(どう)してだ、て質問を並べ立てンのを聞くと、何様(どう)()ても彼奴(あいつ)を思い出して気が抜け仕舞(ちま)いやす。
「其の様な朋輩(なかま)が居るのか」
 居りやしたよ、と男は(しず)かに応えた。
 だから今回は其奴(そいつ)に免じて――
 お訊ねの儀(すべ)て話して進ぜやしょう。
 男は小さく息を吐いた。
 (そもそ)もを辿りゃァ、事の発端(はじまり)は、或る男が國奪りを企てた処に御座居やす。
「國奪り、か」
 其の男は何ンでも手前(てめえ)の思い通りに成らなけりゃァ気が済まねェ、てェ面倒(くせ)ェ野郎で。其の上、旋毛曲がりの臍曲がりで、物事を逆態(さかさま)に引っ繰り返すのが、(ほしいまま)()るてェ事だと(かんげ)える様な奴で御座居やした。輪ァ掛けて厄介なのが、知恵は働く、弁は立つ、(おまけ)に度胸と腕ッ節も文句無しと来た。敵に回しちゃァならねェ筆頭みてェな奴で御座居やす。其奴(そいつ)が紆余曲折在って目ェ付けたのが、此の國の将軍様で御座居やした。
 其の男は名を――海座頭の竹治(たけはる)と申しやす。
「海座頭」
 と、忠相は其の名を繰り返した。
 此奴(こいつ)ァ二ツ名の通り、海賊を生業(なりわい)()る悪党で御座居やすよ。義兄弟(きょうでえ)に天狗の松蔵、幽谷響(やまびこ)の梅吉てェのも居りやす。天狗の松蔵なら、御奉行様も聞いた事が有るンじゃァ御座居やせんか。
「其れは、信州生まれの大盗賊か」
 流石は地獄耳の南町奉行様。
「茶化すで無い。(ほか)の二人に就いては名を小耳に挟んだ程度にしか知らぬ。手放しで褒められた話でもあるまい」
 男は鼻で嗤った。
 で、此の海座頭、宇和島藩沖の日振島に根城を構える海賊で御座居やすが――此奴(こいつ)(おか)に揚がったのも、()しか()ると御存知で。
「天狗の松蔵が処刑されたからであろう」
 其の通りで。
「詰まりは、後釜に座ろうと考えた、と云う事だな」
 お察しの通りで。
(しか)し解らぬ」
 と、忠相は云った。
「何を何様(どう)()れば其処から國奪り等と云う話に成る」
 其れァ(すべ)て偶然の産物に御座居やす、と男は応じた。
 天狗の松蔵に打ち首獄門の沙汰が下り、手下の主立った者共は各地に散り散りに成りやした。海座頭は先ず、其れ等を再び集めようと()たンで御座居やす。断った者、既に捕まって居た者、死んで居た者、見付から無かった者等も多数居りやしたが、配下に(くだ)った者の中の一人が、感応院の悪僧宝沢で御座居やす。
(くだん)の、御墨付きと御短刀を持って居た男か」
 有り体に云って、宝沢も最初(はじめ)から真物(ほんもの)だと本気で信じて居た訳じゃァ御座居やせん。何かの足しには成るンじゃァねェかと、其の程度の(かんげ)えだった様で御座居やす。只、目の肥えて居た海座頭の奴ァ一目見て其れが紛れも無く真物(ほんもの)だと見抜きやした。
「目利きが出来たのか」
 丁重(ちゃん)と訓練を受けた訳じゃァ御座居やせん。只、絢爛見事な西陣織、南蛮古渡り揃いの皿、異国巨獣の剥製、拝領の大太刀、飾り屏風、細工の煙管、等々古今東西有りと(あら)ゆる盗品を見て来た故に磨かれた嗅覚に御座居やす。
 其処で、折角(おか)に揚がったンだ、國の一つも奪って()ろうてェ目論見の、筋書きの半分は出来やした。
「半分か」
 残り半分、(いや)、決め手と成る一押しが未だ欠けて居たンで。
 所が、思わぬ処から切り札が舞い込んだ。
「何処から、何が来たと云うのだ」
 御奉行様は御存知ねェのかも知れねェが、先達て、山田(ようだ)奉行所が襲われたのはお聞き及びで。
「――(いや)、聞いて居らぬ」
 ()しか()たらと思いやしたが、まァ其れも無理からぬ話で御座居やす。荒らされたなァ触れるべからず、問うべからず、語るべからずの三禁庫、で御座居やすから。
「其れは、真実(まこと)か」
 真実(ほんとう)の話で。襲わせたなァ此処だけの話、紀伊藩主徳川宗直。襲ったなァ宗直公が伊予西条藩主であった頃から手を回して居た近隣の藩の破落戸(ごろつき)である事(まで)ァ分かって居りやす。襲わせた理由(わけ)ァ、定かじゃァ御座居やせんが。
成程(なるほど)、触れるべからず、問うべからず、語るべからずなれば、表沙汰に成って居らぬのも頷ける話であるが、其れが何様(どう)()たと」
 山田(ようだ)奉行の三禁庫から宗直公の望みの(もん)が盗み出されると同時に、偶々(たまたま)近くに在った所為(せい)――か何様(どう)かは存知やせんが、違う(もん)(まで)一緒に奪われたンで。
「違う物、とは」
 一つの調べ書き、で御座居やすよ。
「調べ書き」
 此処(まで)云っても()だお分かりに成らねェ。
「慥かに己は(かつ)山田(ようだ)奉行を務めては居たが、心当たりが無い」
 (もっと)以前(まえ)に御座居やす。
以前(まえ)、と云われてもな」
 真逆(まさか)、お忘れてェ(こた)ァ御座居やせんでしょう。御奉行様が山田(ようだ)にお務めに成る前、一度お出向きに成られた事を。其の時分の案件は、殺生禁断の阿漕が浦にて松平頼久なる男が無礼にも網を打って居るとの事。
「無論憶えて居るに決まって居る」
 其の時の沙汰は、如何(いか)に。
「搦め捕って一晩牢に入れ、翌朝引き出して、説教の後解き放ちに成ったと聞いて居るが」
 其処で御座居やすよ、と男は云った。
 牢に入れる時にゃァ中で悪事を働かれちゃァ事だってンで頭の天辺から足の爪先(まで)(あらた)めねばならぬ法度(きまり)、次に何か有った際に備え、手配に備えて其の人相、体格、痣や黒子(ほくろ)(まで)を――調べ書きに遺す法度(きまり)に御座居やしょう。
「詰まり」
 ()う、詰まり。
 其処にゃァ身内か、乳母か、情を交わした対手(あいて)しか知らぬ様な身体の特徴(しるし)が細大余さず載って居るてェ次第に御座居やす。
「吉宗公若かりし頃の其れが盗み出された、と云う事か。(しか)し其れを海座頭一味が何故、何様(どう)()って」
 偶々(たまたま)だと、最前申しやした、と男は云った。
 山田(ようだ)奉行襲撃を指示したなァ徳川宗直。()ったなァ伊予西条藩近隣の破落戸(ごろつき)。海座頭が根城を構える宇和島藩は――西条藩の隣に御座居やす。話が転がり込んだ時にゃァ渡りに船と小躍り()たやも知れやせんが、其奴(そいつ)ァ分からぬ事で御座居やす。(いず)れにせよ此れで、筋書きの残り半分、最後の切り札が揃いやした訳で。
 何と、と忠相は息を呑む。
 天狗の手下。御墨付と御短刀。宇和島の海賊。伊予西条の藩主。阿漕が浦の密漁。山田(ようだ)奉行所の調べ書き。
 一つ一つは関わりの無さそうな事柄が、積み重なり、折り重なり、一つの絵柄を作り上げる。
(しか)し――」
 と忠相は眉を顰めた。
「其の当の海座頭は一体何故(なにゆえ)に、そして今、何処に」
 其れが()の男の最も怖ろしい処に御座居やす、と男は云った。
 筋書きァ仕上がった。(すく)なく見積もっても八分は其処に乗った。不安材料も無くはねェが、十中八九事は成る様に見える。(いや)、事実、筋書きは万事滞り無く進み、終着点(まで)行き着いた。其れだけの緻密な筋書きを書き、尻尾を掴ませずに仕込み、誰にも気付かせねェ内に運ぶ事が出来る。其れでも――勘と嗅覚で危ねェと思ったら(すべ)てを投げ出して舞台を降りる。(ほか)の奴なら諦めきれずに()()み付き、後に退けずに(すが)り付き、ずるずると引き摺り流される。動き始めた事態(こと)が、手前(てめえ)の費やした労が、(おお)きけりゃァ(おお)きい程、逃げ出すなァ出来ねェ相談だ。てェ処で、淡然(あっさり)と其れが出来仕舞(ちま)う。
 ()()真実(ほんとう)理由(わけ)ァ当人を含め恐らく誰にも説明出来や致しやせんが、癪気と(いつわ)って引き籠もり、騒ぎに乗じて恐らくは逃げ延びた。
 故に彼奴(あいつ)ァ怖ろしい。
「買い被り過ぎでは無いのか」
 と、忠相は云った。
「現に事は成らなかったでは無いか」
 其の場にゃァ当の海座頭が居なかった上に、其れにも関わらず、筋書きは(ちっ)とも狂っちゃァ居ねェし、覆っても居りやせん、と男は自嘲する口調で云った。
 其ンな(こた)ァ出来ねェなァ分かり切った話で御座居やす。だから、筋書きの外から引っ繰り返した。其れしか無かったンで御座居やすよ。
「筋書きの外から、とは」
 人が一番無防備に成る時たァ()ンな時だと思いやすか。
(さて)、眠って居る時であろうか」
 眠って居ても物音立てりゃァ目ェ覚ましやす。(いや)(むし)手前(てめえ)が無防備に成ると分かって居るンだから、却って逆に気ィ張るてェ(もん)で。薬でも盛られりゃァ依り深く不覚に陥るかも知れねェが、其れでも起きねェ保証はねェ。
「己が無防備であると気付かぬ時こそが無防備、と云う事か」
 其の通りで。
「ならば何か(ほか)の事に気を取られている時は何様(どう)か」
 (ちけ)ェ処で御座居やす。但し、余所(よそ)に気ィ取られてても邪魔が入りゃァ気付きやしょう。気付いた処で筋道を変えて、備える事も出来やすぜ。
「最早筋道を変えられぬ時でなければならぬのか」
 然様(さよう)で。
「ならば己の勝利を確信した時は何様(どう)か。策が成就()たと信ずれば、其の外は目に入るまい。又筋道を変える事も出来まいよ」
 惜しい処で。人が最も無防備に成るなァ、己の勝利を確信した時――じゃァ御座居やせん。獲物の喉笛に牙を突き立てた獣が背後(うしろ)を気にしねェのと同様(おんなじ)で、人が最も無防備に成る時ァ、己が勝利()(まさ)に其の刹那に御座居やす。事が成れば、其れが崩れるたァ誰も(かんげ)えねェ。突くなら其処しか無かった。一つ、答えて居なかった最初の問いにお答え致しやすが――吉宗公の(せな)にゃァ歴然(ちゃん)と三つ並びの黒子(ほし)が御座居やす。
「なれば、事は真実(ほんとう)に成って居たのだな」
 成って居たンで。
逆態(はんたい)に云えば、一度策を成らせ無ければ裏は掻けぬ。詰まり、上様が()の場に御忍びで御出ましで在った事、其処から先こそが、御主の手引き、と云う事か」
 忠相は大きく息を吐いた。
「では、此の怖ろしい敵が逃げ延びた末、同じ位の策を引っ提げて又何時(いつ)か再び現れる事も有る、と」
 身震いする忠相に、其奴(そいつ)何様(どう)か知れやせん、と男は応えた。
 仔細(わけ)ァ三つ御座居やす。一つ目に、悪党共の耳は(はえ)ェ。海座頭、てェか、常楽院天忠が捕まって遠島の沙汰てェなァ(とう)に津々浦々に知れ渡って居りやす。詰まり、人集めに(つか)える名が在りやしねェ。二つ目に、処罰されたなァ身代わりだてェ話が通じたとして、海座頭の企みが潰されたなァ何ら変わりは御座居やせん。なら仲間を集めるのも此れ(まで)みてェにゃァ行く訳がねェ。一遍沈み、又沈むかも知れねェ舟に乗る奴ァ居ねンで御座居やすよ。三つ目に、一度手に入れ損ねた物をもう一度手に入れようと()るかてェと其れが(かんげ)(にき)い。(さき)にも云った通り、海座頭てェなァ物事を手前(てめえ)の思い通りに()なけりゃァ気が済まねェてェ野郎で、別に國其の物が欲しい訳じゃァ御座居やせん。思い通りに成らなかったからてンで、同じ(もん)(ばか)り狙っちゃァ名折れで御座居やしょう。となりゃァ、(もっと)巨大(でけ)(もん)を奪りに行ってこそ汚名返上も在ろうかてェ話で。
(もっと)巨きな物とは」
 (さて)、定かにゃァ云えやせんが、海座頭の元々の戦場(いくさば)海原(うみ)に御座居やす。()しか()ると捲土重来を期し、もう此の國にゃァ居ねェかも知れやせん。
 分かりやせんがね、と男は嗤った。
()う成れば、最早國と國。高々町奉行の出る幕では無いな」
 忠相は苦笑いを浮かべる。
 全く其の通りで、と男は応じた。
「其の海座頭の跡継ぎが、弦右衛門と云う男なのか」
 跡継ぎてェのたァ(すこ)ゥし違いやすがね。まァ(もっと)将来(さき)、海座頭がくたばった後なら其ン位にゃァ成れたかも知れやせんが。
「其れが――」
 殺され六部の弦右衛門、で御座居やす。只今、稲生下野(しもつけ)殿のお取り調べの直中(ただなか)の。
此奴(こやつ)は何者なのだ。真実(ほんとう)に海座頭の息子なのか」
 違うので御座居やしょう、と男は淡然(あっさり)と云った。
 恐らくは拾い児。筋が好くて目ェ掛けたてェ程度かと。頭ァ切れる、物ァ知ってる、其の上不足(あな)ァ埋める勤勉さも有るてェ野郎で、海座頭に心酔()ても居たてェ辺りが(つか)い易くはあったンで御座居やしょうが、海座頭の器にゃァ御座居やせん。好い処、天狗で御座居やしょう。
「天狗――松蔵か」
 洒落が利いて居る話で御座居やす。御奉行様は御存知で、と男は続けた。
 天狗てェなァ旧くは山ン中で声真似、音真似を()妖物(ばけもの)とも伝わって居りやす。
()う云う話は、聞かぬでも無いが」
 似た様な妖物(ばけもの)(ほか)にも居て、呼び名も色々御座居やす。木霊(こだま)幽谷響(やまびこ)――天邪鬼(あまのじゃく)
天邪鬼(あまのじゃく)()うなのか」
 人の心を察した上で、敢えて逆態(はんたい)の事を()って揶揄(からか)う小鬼を天邪鬼(あまのじゃく)たァ()く云いやすがね、山ン中で人の声を拾っちゃァ投げ返して人を揶揄(からか)妖物(ばけもの)天邪鬼(あまのじゃく)と呼ぶ地方(くに)も御座居やす。
「其れが、何様(どう)()たと云うのだ」
 六部殺しと天邪鬼(あまのじゃく)の説話は裏表てェ話で御座居やすよ、と男は云った。
 (ふる)く依り、他人(ひと)の持ち物を奪い、時に成り代わり、其の後に悪事が露見(ばれ)て報いを受ける噺ァ数多く御座居やす。其奴(そいつ)百姓(うばう)側から見た物語(はなし)が、六部殺し。瓜子姫(やりかえす)側から見た物語(はなし)が、天邪鬼(あまのじゃく)(すなわ)ち、六部(それ)天邪鬼(これ)とは表裏一体なので御座居やす。そして、六部(やりかえすもの)天邪鬼(うばうもの)に転がり落ちりゃァ――()う成るなァ当然の帰結に御座居やす。
「将軍様の御落胤に成り済まそうと()たからこそ、其れが見破られて報いを受けた――か」
 其れこそ、天狗の野郎と同じ末路に御座居やす、と男は応じた。
 此の位で、宜敷(よろし)う御座居やすか。
「聞きたい事は、(ほとん)ど聞いた」
 と、忠相は答えた。
「正直に云えば、御主の素性やら、此れ(まで)の話やら、聞きたい事は未だ幾らでも有る。有るが、詮索は()ぬが好かろう。故に訊かぬ。訊かぬが――」
 無理にとは云わぬが、一つだけ聞かせて欲しい、と忠相は苦みの混じった声で云った。
「何故、御主は態々(わざわざ)海座頭一味に刃向かった。御落胤の虚偽(うそ)を暴き立てた。其れを()て、御主に何の(えき)が有った。御主の目的は一体、何なのだ」
 (えき)なんざ有りゃァ致しやせん、と男は云った。
 只、借りを返しただけなンで。()らなきゃァ埋まらねェから()った(まで)で御座居やす。
「海座頭か殺され六部に、因縁でも在ったか」
 ()うじゃァ御座居やせん、と男は頸を振った。
 (やつがれ)にゃァ徒党(つれ)が一人居りやしてね。身内と呼ぶにゃァ縁が薄く、朋輩(なかま)と呼ぶにゃァ情が(うし)いが、仕事()る時ァ(つる)む事が多かった。年齢(とし)の差ァ親子程も有ろうかてェ(じじ)(なが)ら、切っても切れねェ腐れ縁で。
「其の男が何様(どう)()たと云うのだ」
 何ンの(こた)ァねェ、小悪党の末路てェなァ一つに決まって居りやす、と男は吐き捨てる様に云った。
 最前に云った、何故(なんで)だ、何様(どう)してだ、て質問責めに()て来るのも此の(じじ)ィで、恐らく海座頭か殺され六部対手(あいて)にも神経逆撫でに()(ぐれえ)執拗(しつこ)何故(なんで)だ、何様(どう)してだ、て()ったンで御座居やしょう。一年(ひととせ)(めえ)の話に成りやすが、(むくろ)が上がりやして。
「詰まり、仇討ちか」
 何様(どう)取って戴いても結構で御座居やす。
 詰まらなさそうに男は云った。
 ――只、其れを境に端然(ぱったり)と追っ手が緩んだ。
「何の追っ手だ。海座頭一味か」
 事を成すにゃァ(やつがれ)共が邪魔だと思って居たンで御座居やしょう。(つら)の割れてねェ(やつがれ)ァ兎も角、(ほか)連中(つれ)最初(はじめ)の内ァ目の敵みてェに()て見付け次第叩き殺して()るてェ勢いも御座居やして、往来(おもて)なんざ気ィ抜いて落ち落ち歩く事も出来やしねェ有様で御座居やした。処が或る時から路傍の小石を蹴飛ばす(ぐれえ)案配(あんべえ)で、見て居るんだか居ねンだか、余程気に(さわ)りゃァ邪険にも()るが、態々(わざわざ)探し出そうてェ風は無く成りやしたンで。
「其れが、其の老爺の御陰と云う事か」
 証拠(あかし)が在る訳じゃァ御座居やせんがね。此の爺ィ、他人(ひと)を装い、余人(ひと)に化けるのを仕事と()る野郎で。歳ィ喰っちゃァ居りやしたが、其の分何処(どっ)かの偉そうな役目を()るのが得意技で御座居やした。だから、或る時ァ大店(おおだな)の隠居、或る時ァ御用聞きの主人(あるじ)、或る時ァ老いた父親(てておや)、又或る時ァ――妖物(ばけもの)(つか)いの頭目に成り済ましたので御座居やしょう。
 其れこそ、()()て何ンの益が有ったんだか、と呟く声は風に紛れて消えそうであった。
 莫迦な(じじ)ィで御座居やすよ。温順(おとな)しく()てりゃァ生きる目も在ったろう。(すく)なくとも手前(てめえ)頭目(あたま)だてェ振りを()なけりゃァ避けられた難は在った筈だ。其れでも、(じじ)ィが()(いつわ)った御陰で(やつがれ)共ァ粗く成った網の目を掻い潜った。頭目(あたま)(つぶ)しゃァ後ァ烏合と油断()て呉れたからこそ裏を掻けた。其れなら――借りは返さなけりゃァ仁義に(もと)りやしょう。
「其れだけか」
 其れだけで。
真実(ほんとう)に、其れだけか」
 (ほか)にゃァ御座居やせん。
真実(ほんとう)に只其れだけの為に、此の様な國と大海賊を向こうに廻した大博打(おおばくち)に打って出たのか。為抉(しくじ)れば死罪も免れ得ぬに決まって居ると云うに」
 何をお訊きに成りてンで御座居やすか、と男は低い声で云った。
「何を云うか。己が(ことば)()ずとも察せられよう。御主程の知恵者ならば世の為政者は放っては措かぬ。召し抱えるか、疎んじるかは夫々(それぞれ)であろうが、此度(こたび)の一件己を売り込むには又と無い好機。将軍様をも容易(たやす)(たら)し込んで措き(なが)ら、其れを(すべ)て棒に振り、姿を消したのは一体何故(なにゆえ)かと問うて居るのだ」
 男は呆れた様に息を吐いた。
 ()()一体(いってえ)何ンに成りやす。
「知れた事。仕官し、身を立て、名を上げ、家を遺すのだ。其の(ほか)に何が在る。今からでも遅くは無いぞ。御主さえ好ければ己が口利きを()()ろう。己の片腕、(いや)、其れ以上の席は保証出来る。褒美も望み通りに与えよう。欲しいのは何だ。俸禄(くらい)か。金銭(かね)か。財宝(たから)か。()れも此れも、思うが(まま)だ。何様(どう)だ」
 だから、()()一体(いってえ)何ンに成るのかと、訊いて居るンで御座居やすよ。
 男は、()う、苛立つ様に云った。
 世の多くの民にとっちゃァ、家名(なめえ)血統(ちすじ)だってェなァ何様(どう)だって好い事で御座居やす。豪邸(いえ)土蔵(くら)だってェのも現実味がねェ。云っ仕舞(ちま)やァ、幕府(くに)将軍(くび)()げ替わろうが、御落胤が贋者(にせもん)だろうが、其ンな事より今日明日の御飯(おまんま)の方が余っ程大事(でえじ)なんで御座居やすよ。其処にゃァ手前(てめえ)の児も隣家(となり)の児も分け隔てなんざァねェ。僅かな米と味噌と菜を持ち寄り、分け合い、身を寄せ合う様に()て生きてンで。御奉行様にゃァ其れが見えてねェのか、見ねェ様に()てンのか、其処ァ存知やせんがね、ともあれ、誰も彼もが御武家様の様に(かんげ)えてるとお思いに成っちゃァ間違いの元に御座居やす。(やつがれ)ァ――仕官出世にゃァ興味は御座居やせん。(いや)()う云った方が依り正確(ただ)しく御座居やしょう。
 将軍様も賤民も、(やつがれ)にとっちゃァ皆(ひと)しく屎袋(くそぶくろ)だと。
「ぶ、無礼では無いか」
 思わず声を荒げた忠相に、男は嗤いを滲ませて云った。
 将軍様に礼を尽くさにゃァ成らねェなァ御武家様だけに御座居やす。将軍様とて一皮剥きゃァ(やつがれ)共と何ら変わりは御座居やせん。口から物喰って、尻から()り出す屎袋(くそぶくろ)に御座居やす。其れを御立派に飾り立て、有り難がるから滑稽(おか)しく成る。屎袋(くそぶくろ)屎袋(くそぶくろ)らしく地平(じべた)を這い擦り廻って居る方が余っ程其れらしい。
「聞いて居れば重ね重ねの暴言許し難い。其処へ直れ、斬り捨てて呉れる」
 喉元に当てられた刃も忘れ、怒りに身を震わせた忠相は振り向きざまに腰の物を抜き、裂帛の気合いと伴に背後の影を斬り倒した。
 (いや)、斬り倒したかに見えた。
 路地に細い金属(かね)の棒が転がる。斬り倒した筈の衣が宙にはためく。
「此れは――」
 其れは宙に釣られた白装束。形(ばか)りの偈箱(げばこ)を下げ、白木綿の行者包みを上に載せ、中身無き見せ掛けだけの御行(おんぎょう)乞食(こつじき)
 何時(いつ)からであったのか、忠相は背に傀儡を背負わされ、傀儡と会話を()て居たのであった。
 余りの事に呆然と()る忠相の背後に再び影が差す。
 御奉行様にゃァ理解(わか)らねェ事かも知れやせんがね、と影は告げる。
 野心は無いのか、と震える声で忠相は問うた。
 在った方が好い。其の方が分かり易い。(しか)し――
 (やつがれ)にゃァ興味御座居やせん、と影は云う。
 己が対手(あいて)()て居るのは傀儡か、魔か、人間(ひと)か。忠相には最早判断が付かなかった。
「お、御主は――」
 御主は何者なのだ、と振り向く事も出来ずに掠れた声で問う。
 男の声は(しず)かに嗤い、朗々と()(うた)う。
 (やつがれ)虚言(そらごと)(さえず)るが能の、只の嘘吐(そらなき)に御座居やす。
 修験者の風体(てえ)で題目唱え、陀羅尼の札を撒き歩く、明日をも知れぬ御行(おんぎょう)乞食(こつじき)。とまァ(まと)った装束(なり)は僧形なれど神仏なんぞ欠片も信じちゃァ居りやせん。
 故に()る事、()す事、碌でもねェ。
 人を(だま)す、(かつ)ぐ、(そそのか)
 (おど)す、(すか)す、丸め込む
 (たばか)る、(あざむ)く、(けむ)に捲く
 転がす、揺振(ゆすぶ)る、(おど)らせる
 其ンでお零れを掠め取るてェ吝嗇(けち)な小悪党に御座居やす。
 仕掛け仕込んで糸引いて
 所詮(うつつ)は浮き世の夢と
 見切る憂き世の狂言芝居。
 百鬼夜行、万怪昼行
 (あまね)(うごめ)魑魅魍魎(ちみもうりょう)
 寄って(たか)った有象無象(うぞうむぞう)
 身過ぎ世過ぎで片をば付けて
 天の御意(みこころ)、仏の御行(みわざ)
 (いつわ)り、(よそお)い、成り済まし、(かた)って、(はか)って、()(そら)んじる――


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