我慢がならぬ、と唸る様に男は云った。
「何と云う不遜、何と云う不敬。斯様(かよう)な無礼、無道、無思慮、無分別が在ってなる物か。()うでは無いか。(いや)()うであろう」
 抑えよ、大膳、と(しず)かに(たしな)めたのは山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)であった。
「声を荒げても何にも成らぬぞ」
「抑えられる物か」
 と、赤川大膳は眉を逆立て怒鳴り返した。
「御主も憶えて居よう、()の稲生下野(しもつけ)は我等が主君を将軍の御落胤と認め、御親子(しんし)御対顔に力の限りを尽くすと()う誓ったでは無いか。其れだと云うのに――」
 何時(いつ)(まで)経っても何時(いつ)(まで)待っても音沙汰無き(まま)では無いか。
「よもや、()れは嘘偽り、我等を(たばか)ったとでも云うのか。であるならば此の不埒不届、如何(いか)に償わせて呉れよう」
 喚き、気勢を揚げ、今にも暴れ込まん勢いで猛る大膳を見て、伊賀亮(いがのすけ)は小さく溜息を吐いた。
 此の赤川大膳と云う男は元は四國伊予國(いよのくに)の山賊の頭領であり、藤井左京とは義兄弟の間柄である。
 身体は巨きく力も強く、知恵も人望も並以上には持ち合わせる。故に山中で十数人の荒くれを束ねて居た。其の実力を見込んで仲間に引き入れた。
 気が短く、気性が荒いのが難点ではあるが、其処は諸刃の剣。却って御し易かろうかと考えたのは果たして正解であったか否か。
 ――(いや)、加えた仔細(わけ)は其れだけでは無いのではあるが。
「抑えよ、と云ったぞ」
 伊賀亮(いがのすけ)は繰り返した。
(そもそ)(さき)の再吟味、稲生下野(しもつけ)真実(ほんとう)に恐れ入り、屈服した物と思って居たのならば傍痛し。無論あわよくば我等を云い伏せんと(おも)って居たのではあろうが、其れが叶わぬと悟ったが故の偽りの降伏に過ぎぬ。()()猶予(とき)を稼ぎ、其の内に紀州を初め方々(ほうぼう)調べる心積もりであったのは明白(あきらか)であろうよ」
 伊賀亮(いがのすけ)が大膳を仲間に引き入れた真実(ほんとう)仔細(わけ)は、実は其処に在った。
 大膳は野盗で在り(なが)ら、珍しく氏素性の明白(あきらか)な男である。
 氏素性が知れれば、其処から何か手掛かりが得られぬ物かと人は考える。(ほか)の者の素性が知れぬ中、分かり易い手掛かりが一つ目の前に在れば、余所(よそ)には目も呉れず思わず飛び付いて仕舞うのは仕方の無い話である。
 詰まり赤川大膳とは、居るだけで見せ餌の役割を果たす、謂わば目眩ましであった。
 無論、()うとは決して口には出さぬが。
「詰まり()れは猶予(とき)を稼ぐ為の方便であったと」
然様(さよう)
(おもて)を伏せ(なが)ら肚の中では舌を出して居たと」
如何(いか)にも」
何故(なにゆえ)()う云い切れる」
「知れた事」
 事も無げに伊賀亮(いがのすけ)は云った。
「憶えて居よう、稲生下野(しもつけ)は終始、此の山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)如何(いか)に云い伏せるか、其れのみに苦心惨憺()て居た事を」
「応とも」
()れは――」
 ()れは意味が無いのだ、と云われ大膳は、其の様な訳が在るか、と反駁の声を上げた。
「吾にでも分かる。戦にも様々在るが、敵の首魁を落とすのが最も容易(たやす)く勝敗を決する道であろう。なれば御主を真っ先に狙うが常套手段では無いか」
「御主の(ことば)正鵠(ただ)しいのであれば、射るべきは天一坊であろうよ」
()うでは無い」
 天一坊は謂わば神輿では無いか、と大膳は更に云い返した。
「其の時々で狙うべき要所が変わる事等、云う(まで)も無かろう。幾ら戦が主君の命に依って起きるとしても、戦場(いくさば)から遠く離れた城内を狙い討つ訳には行くまい。戦を終わらせるには其の場の指揮を執る者を討たねばならぬ。将を射んとすれば先ず馬を射よの喩えも有る。(さき)の再吟味で云えば、神輿を担ぐ(かなめ)となる御主を狙うが定石。でなければ神輿は何時(いつ)(まで)も落ちぬでは無いか」
「では訊くが」
 と、伊賀亮(いがのすけ)は大膳を見据えて問いを発した。
()し仮に拙者が云い伏せられて居たら何様(どう)成って居たと思う」
「其れは――」
 云い掛けて、大膳の(ことば)が止まる。
 其れを見た伊賀亮(いがのすけ)は、見た事か何様(どう)にも成るまい、と嗤った。
「稲生下野(しもつけ)が老中に依る吟味の直後に再吟味を願い出たは、先んじて他の動きを制する為。()れど、其れ故に下調べが叶わぬ(まま)に場に臨む事と成った。詰まり()の再吟味の問答は(やぶ)(かぶ)れの苦肉の策よ。拙者が参ったと音を上げれば其の先の尋問も容易(たやす)くは進もうが、(いず)れにせよ天一坊が真者(ほんもの)か否かを問わねば何にも成らぬ。なれば――」
 時を改めて(まさ)に其れを問う場を設けるは必定。
「詰まり――」
 詰まり、次に呼び出され、浮々(うかうか)と出向いたら再々吟味と云う事も有る、と云う事か、と大膳が問うのと同時に、障子の向こうから声が掛かった。
伊賀亮(いがのすけ)様」
 其れは取り次ぎ役に玄関近くに置いた、中村市之丞の声であった。
 伊賀亮(いがのすけ)は皆に動じるなと云う様に目配せを()て、其れから、何事も無かった様に応えを返した。
如何(いかが)した」
「只今、勘定奉行稲生正武様依り、御使者平石(ひらいし)次右衛門(つぎえもん)が参って居ります」
「して、用向きは」
「其れが、天一様御重役山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)様に御目通り致し、申し上げたき儀が御座候との事にて」
「相分かった」
 伊賀亮(いがのすけ)は頷いて座を立ち、落ち着いて待てと云い置いて、次右衛門を使者の間へ通させた。
 使者の間にて対座すると、次右衛門は深々と頭を下げた。
「拙者、勘定奉行稲生下野守(しもつけのかみ)正武様の代理(かわり)にて、天一様御重役山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)様にお伝え()る儀有りて()く罷り越して御座候。主人(あるじ)の申し候事は、明日は吉日に付き、御親子(しんし)御対顔の儀御取り計らい仕り候。重役和泉守、稲生役宅(まで)参られ、天一様へ御元服を奉り、其れ依り和泉守の御案内にて御登城の運びと成り候。西の御丸へ直らせられ候節は、酒井左衛門尉(さえもんのじょう)依り御槍(おんやり)一筋献上仕り候事吉例に候えども、左衛門尉(さえもんのじょう)は只今出羽國(でわのくに)鶴ヶ岡に罷り在り候に付き、名代として和泉守依り猿毛の御槍(おんやり)一筋献上仕り候。上様依りは御祝儀として御先箱一つ、御打物一振り下賜候。打物は雨天に候節は御紋唐草の蒔絵柄、晴天に候えば青貝柄を御用意候。大手(まで)は御譜代在江戸の大名御出迎え、御中尺(まで)は尾州、紀州、水戸の御三方の御出迎えにて、御玄関依り御通り遊ばし、御白書院に於いて公方様御対顔、其れ依り御黒書院に於いて御台様御対顔、再び西湖の間に於いて御三方御(さかずき)事有り。其れ依り西の御丸へ入らせられ候。御石高の儀は、上野國(こうずけのくに)二十万石、下総國(しもうさのくに)十万石、甲斐(かい)三河(みかわ)二十万石、都合五十万石にて上野國(こうずけのくに)左位郡(さいのこおり)厩橋(うまやばし)の城主格に御座候。(なお)、申し遺しの儀在らば、明日成らせられ候節、勘定奉行直々に言上仕り候」
 其の爽やかな弁舌は一点の非の打ち所無く、城中の事を詳しく知る伊賀亮(いがのすけ)の目からも一々理に適って居た。
 伊賀亮(いがのすけ)は一旦奥へ下がり、皆々に此の趣を申し聞かせてから、再び使者の間へ戻った。
(さき)の段、上様へ申し上げ候処、御満足に思し召し、明日巳の刻に役宅へ参るべしとの上意なり。下野(しもつけ)殿には能く能く御伝え下さる様」
「畏まり候」
 次右衛門は厚く礼を述べ、暇を告げて八山旅館を後にした。
 其れを玄関(まで)見送ってから奥座敷に戻った伊賀亮(いがのすけ)を、期待と不安の籠もった面々が出迎えた。
「此れは――」
 と、大膳が口火を切った。
「事が成就せりと思って好いのであろうかな。其れとも、其方(そなた)の云う様に――」
(さて)な」
 伊賀亮(いがのすけ)()()かしたが、何も其れは悪意が有っての事では無かった。
 真実(ほんとう)に、判らなかったのである。
(すく)なくとも、聞く限りの範囲では、何様(どう)やら事は上手く運んで居る様である」
 (しか)し――
彼此(かれこれ)半年も待たせて措いて、明日とは余りに性急。何か裏が有るのでは無いか、身支度、心支度を()せぬ策やも、と勘繰るも已む無しであろう。御対顔の儀と(いつわ)って油断させ、呼び出して策に嵌める心算(つもり)なのかも知れぬ」
 詰まり――
「詰まり、裏で事を()す準備が調った、と云う事か」
()う、かも知れぬな」
 深く思案()る様な口振りに大膳は、何を悠長に構えて居る、と声を荒げた。
不味(まず)いでは無いか」
「何が不味(まず)い」
「慥かに我等が持つ御墨付、御短刀は紛れも無く真物(ほんもの)。なれど天一坊は――」
「大きな声を出すな」
 と、伊賀亮(いがのすけ)(しず)かに制した。
「同じ事よ」
「何が同じだ」
如何(いか)に稲生下野(しもつけ)が手を変え、品を変えようと、当方に又其の裏を掻く策有り、詮方(てだて)有り」
 (むし)ろ再々吟味と成るならば却って好機、逆態(はんたい)に利用し押しも押されもせぬ真者(ほんもの)の御落胤に祭り上げて見せよう、と伊賀亮(いがのすけ)は云った。
「案ずるな、此方(こちら)には切り札が、有る」
 ()う云って伊賀亮(いがのすけ)は、(しず)かに嗤った。

 無論山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)には知る由も無い事ではあったが、稲生下野守(しもつけのかみ)正武、ひいては八代将軍吉宗公にも切り札は有った。
 切り札と云うのは、名奉行と名高い大江戸南町奉行、大岡越前守忠相其の人である。
 只、其の大岡越前は――
 有り体に云って、大層困惑()て居た。
 時の大将軍、徳川吉宗公依りの召し出しの文に応じて、何事かと殿中に上がれば奥に通され、(さて)は余所には漏らせぬ密談か、厄介な案件かと覚悟を決めて見れば突然顔も名も知らぬ男に引き合わされた。
 ()()て、本多儀左衛門と名乗る其の男から聞かされた話が、(くだん)の御落胤騒動であった。
 聞き終え、忠相は咳払いを一つ()た。
 其の意を汲んで吉宗は儀左衛門を下がらせた。
 (しか)し、居住まいを正し、口を開こうと()た忠相の機先を制する様に、吉宗は嗤い(なが)ら、何様(どう)だ、と逆態(はんたい)に尋ねた。
「興味深かろう」
「興味深い、では済みませぬ」
 呆れた様に忠相は返した。
「先ず、いの一番に伺いたき儀が御座居ます。上様に措かれましては、よもや御心当たりが有る、等とは仰いますまいな」
「其れが、有る、と云ったら如何(いかが)致す」
 ()()う仰せならば、と忠相は首を振った。
「此れは天下の一大事に御座居ますれば、忠相一人の手には余りまする」
「では、何様(どう)()る」
「――と、仰いますと」
 問い返されて、吉宗は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「手に余るならば、手は出さぬのか。此の場で見聞きした事を忘れ、何も()ず、只事の成り行きを眺めて居る心算(つもり)かと尋ねて居る」
「其れは――」
 問われて答えは一つしか無い。其れは到底出来ぬ相談であった。
 忠相自身でも云った通り、此れは天下の一大事である。
 知って仕舞った以上は調べ上げ、真偽の程を明らかに()ずには措けぬ。
 (いや)、其の上で()し誤った方へと事が進む様であれば、手出し口出しを()ずには居られぬ。
 忠相の内心の動きを見透かした様に、吉宗は、()うであろう、と頷いた。
「此れ依り老中共の吟味が行われると聞く。其れに御主も列座致せ」
宜敷(よろし)いので御座居ますか」
「許す」
 と、吉宗は短く応えた。
「予と御主の間柄は皆の知る処。予の命と云えば如何に老中格、若年寄格より劣る町奉行と云えど、列席に否哉(いなや)は唱えられまい」
「恐悦至極に御座居ます」
 忠相は深々と頭を下げた。
 此れは便宜に対する当然の返礼であった。
 此度(こたび)()()て吉宗公の手引きで忠相の知る処と成ったが、()()うで無ければ忠相の耳に入るのも遅れたであろうし、老中共の吟味にも立ち会えずに居たであろうし、一件に手を出す事も赦されずに居たであろう。(そもそ)も事の管轄が町奉行の域を超えて居り、手出し口出しは無用と云われて仕舞えば何も出来ぬのである。出来ぬのではあるが、遅れ馳せ(なが)らも知って仕舞えば放って措く事も出来ずに悶々と()て居たであろう。()しか()ると管轄違い筋違いを侵して(まで)横車を押していたやも知れぬ。
 詰まり、此の忠相の召し出しは、(むし)ろ吉宗の気遣いであったと知れた。
「其れで、次に」
 と、忠相は二つ目の問いを口にした。
「上様の御考えは如何(いか)に」
(さて)、一体何に就いての考えであろうか」
「では、違う訊き方にて。上様は、彼の者が真者(ほんもの)で在って欲しいとお思いか、或いは、贋者(にせもの)で在って欲しいとお思いか、其れを御聞かせ戴きたく存ずる」
成程(なるほど)
 と、吉宗は頷き、何方(どちら)でも好い、と至極淡然(あっさり)と云った。
「予には未だ児が居らぬ。故に()真実(ほんとう)に予の児であるならば、此れ程喜ばしい事も在るまい。(しか)し予を(たばか)らんと()る企みならば、乗って仕舞っては取り返しが付かぬ」
 故に何方(どちら)でも好い、と吉宗は繰り返した。
「只、真実を見誤らねば其れで好い」
「承知致し申した」
 では最後に、と忠相は三つ目の問いを発した。
「上様は何か動かぬ証拠(あかし)と成る様な物に御心当たりは御座居ますまいか」
 問われて吉宗は、口を閉ざして腕を組んだ。
「何でも構いませぬ。見目形、身体の特徴、或いは余人の知り得ぬ記憶(おもいで)等、何か一つでも()う云った物は御座居ますまいか」
 吉宗は(しば)し黙考()て居たが、(やが)て顔を上げ、忠相を真っ直ぐに見据えて()う云った。
「無い」
 其の瞬間の忠相の落胆は、口では云い表せぬ程であった。声が細り、震えるのを押さえ込んで、忠相は問いを重ねた。
「御座居ませぬか」
 其れでも、其の声は呟く様にか細い物であった。
()れ程些細な事でも構いませぬ。何か一つ位は」
「――無いな」
 (すく)なくとも思い出せはせぬ、と潔然(きっぱり)と吉宗は続けた。
「忠相」
 薄情だとは思って呉れるな、と云った吉宗の声は、忠相同様、喉の奥から絞り出した様に力無く、苦々しげであった。
「予とて、我が子かも知れぬ男、我が妻であったかも知れぬ(おんな)に何も思わぬでは無いのだ。(しか)し――」
 思い出せぬのだ。
「慥かに()の時分に予の児を孕み、(いとま)を乞うた(おんな)が居た事は憶えて居る。()し男児が生まれれば名乗り出よと書付と守り刀を呉れて()った憶えも在る。(しか)し其れが何処(どこ)何様(どん)(おんな)であったか、容貌(かおかたち)、背格好、生まれ育ち、声の調子とて瞭然(はっきり)とは思い出せぬのだ。余りに数多くの(おんな)に手を付けた故か、丸で霞が掛かった様に薄模糊(ぼんやり)として、幾つもの記憶が重なり合って、()れが誰か全然(さっぱり)分からぬ。其の児となれば最早逢うてすら居らぬ。知る由も無い」
 赦せよ、と云う吉宗に、成程(なるほど)、と忠相は頷いた。
「詰まりは逆に」
()う、逆に」
「余人は(おろ)か上様自身とて知らぬ、動かし難い証拠(あかし)を持って参ったならば」
「其の時は、我が子として疑い無く認めざるを得まいよ」
 在れば、の話だがな、と吉宗は結んだ。
「承知致しまして御座居ます」
 忠相は深々と頭を下げた。
「此の大岡越前守忠相、身命に代えましても必ずや真実を見付け出して参ります」
 其れではと御前を辞そうと()た忠相に、()うだ、と吉宗から声が掛かった。
「先程の男」
 忠相は顔を上げ、眉根を寄せて、(すこ)しの間記憶を辿って居たが、(すぐ)に思い出し、(ああ)、と手を打った。
「慥か、本多儀左衛門と申しましたな。()の男が、何か」
「何、御主の評を聞きたくてな」
 辞す(きわ)を失った忠相に、吉宗は又も悪戯っぽく嗤って()う云った。
「評――と申しますと」
「御主、()の男を何様(どう)見た」
 何様(どう)見たか、と云われても曖昧過ぎて何様(どう)答えたら好いのかが分からぬ。
 (すこ)しだけ思案して、忠相は、少々妙な男で御座居ますな、と云った。
「見た処、江戸城に相応しい男とは到底。恐らくは何処(どこ)ぞの素浪人に(たが)い有るまじく思えまするが、如何(いか)に」
「其れだけか」
「其れ以上の評は持ちませぬ」
 ()うか、と吉宗は含み嗤いで云った。
「なれば問いを変えようか。御主は(くだん)の天一坊とやらを知って居ったか」
「――(いえ)、耳に()たのは只今が最初(はじめて)にて」
「其処よ」
 と、吉宗は膝を叩いた。
「何故聞いた事が無い」
「報せた者が居りませぬ故」
「何故居らぬ」
 矢継ぎ早の問いに忠相は声を詰まらせた。
 何故報せた者が居ないのか。
 報せるに値せぬと思ったか、或いは、報せぬ方が得と思ったか。
 何方(どちら)かは分からぬ。
 分からぬが――
 ――(いや)
 此処に来て忠相は思い至る。
 何方(どちら)でも同じなのだ。
 報せるに値せぬと誰もが考えた事を。
 或いは報せぬ方が得だと誰もが考えた事を。
 何故、()の男は報せに来たのか。
 其れは(すなわ)ち、報せるに値し、報せた方が得だと、()う考えたからに相違無い。
 (ほか)の誰一人として()うは考えなかったにも関わらず、である。
 気付いたか、と吉宗は嗤った。
「故に、態々(わざわざ)殿中に呼び寄せ、話を聞いたのだ。正解であったぞ。身形(みなり)こそ見窄らしく、口調こそ頼り無く、態度こそ自信無い様ではあるが、一度口を開けば知識は深く広く、万事(よろず)に精通し、話は大層興を惹く。()れ程目端が利く者も()うは居らぬ。只の流れの素浪人に()て措くには余りに惜しい」
 其処(まで)聞けば、忠相にも吉宗の云いたい事が()く分かった。
成程(なるほど)、では、()の男も吟味に列席させよ、と云う事で御座居ますな」
「其の通り」
 と、吉宗は大きく頷いた。
()()て措いて、決して損を()る事は在るまいよ」
「御意に御座居ます」
 ()う云って忠相は頭を下げた。

 御対顔の儀の当日。
 夜明け辰の上刻に天一坊ら一行は八山を、勘定奉行役宅に向けて発った。藤井左京、赤川大膳らを先頭に、行列は以前に増して華美に装い、以前にも増して人を並べ、(まさ)に五十万石の大名に相応(ふさわ)しき様であった。徳川家の参勤交代も()くやと云う大行列に無礼失礼が在ってはならぬと、途中の横町横町は木戸を閉め切り、町内町内の自身番屋には鳶の者共が火事装束にて詰め、家主等も代わる代わる訪れては様子を窺って居た。数寄屋橋御見付へと入れば普段(いつも)よりも人出は(おびただ)しく、天一坊の供が残らず繰り込むのを待ち、御門をはたと閉め切った。
 一行が稲生御役宅へ到ると、大門が開いた。其の(まま)敷台(まで)駕籠を横着けにすると、公用人平石次右衛門、池田大助等が平伏して出迎えた。
「天一様に措かれましては、一先ず奥の間にて(しばら)く御休息遊ばされたく。山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)様、赤川大膳様、藤井左京様も供に――」
 云い掛けて、(ことば)が止まる。
「はて、常楽院天忠様は何処(いずこ)に」
「天忠殿は」
 と答えたのは、赤川大膳であった。
「昨晩依り(にわか)に癪気差し起こり、全快覚束(おぼつか)ぬ故、宿にて(やす)み居り候」
成程(なるほど)、畏まりまして御座居ます」
 (うむ)、と大膳も伊賀亮(いがのすけ)も鷹揚に頷いたが、此れは策でも何でも無かった。只、昨晩天忠が()う訴え、万端宜敷(よろし)く御頼み申すと云い送って引き籠もって仕舞ったのである。事が成就する其の(とき)に立ち会えぬは哀れなれど、(やまい)とあれば仕方の無い事であった。
 ()()て、天一坊を筆頭に、山内(やまのうち)伊賀亮(いがのすけ)、赤川大膳、藤井左京らは次右衛門の案内で奥へと通された。
 長き廊下を抜け、此方(こちら)で御座居ます、と次右衛門が襖に手を掛け押し開く。
 開いた途端に、黒と緋色の(まだら)が目に飛び込んだ。
 其処に広げられていたのは在ろう事か、血塗れの着物であった。突然(いきなり)の事に(ぎょっ)とした天一坊等一行ではあったが、部屋の中に居た者共も(ぎょっ)とした様に目を剥いた。
「やや、仕舞った」
 慌てた様に声を上げたのは、襖を開いた当の次右衛門であった。
「申し訳御座居ませぬ。部屋を間違いまして御座居ます。此方(こちら)、人を殺めし証拠(あかし)の品の吟味中に御座居まして」
 云って、急いで襖を閉じた。
「見苦しい物を御目に掛け、詫びの(ことば)も御座居ませぬ。天一様の御出でに成る日であるとは知り(なが)ら、(ほか)の御役目も蔑ろには出来ませぬ故、平に御容赦を」
 床に額を擦り付ける次右衛門に、余りの事に色を失っていた天一坊らであったが、(やが)て、気を取り直し、絞り出す様な声で、好い、と云った。
確乎(しっかり)と役目に励めよ」
「有り難き御詞(おことば)に御座居ます」
 次右衛門は顔を上げ、すっくと立ち上がった。
斯様(かよう)な物が近くに御座居ますれば気も休まりますまい。今(すこ)し奥の部屋に」
「相分かった」
 誰からとも無く頷いて、導かれる(まま)に役宅の奥へ奥へと誘われた。廊下を曲がり、濡縁を抜け、屋敷の最奥の襖を押し開く。
 其の先には――
「能くぞ参ったな、宝沢(ほうたく)
 勘定奉行稲生下野守(しもつけのかみ)正武では無く、大江戸南町奉行大岡越前守(えちぜんのかみ)忠相が待ち構えて居た。
 度重なる不意打ちに、流石の伊賀亮(いがのすけ)も心が揺れるのを抑えられなかった。稲生正武を相手取る心算(つもり)で居た。勝てぬとも思って居なかった。(しか)し、対手(あいて)が将軍の懐刀、名奉行と名高い大岡越前であったならば、多少は話が変わって来る。切り札は有る。準備も()て来た。なれど、(すく)なくとも、大岡越前を相手取るだけの備えが、心構えが在ったかと問われれば、答えは否である。
 動揺()(なが)らも伊賀亮(いがのすけ)は気取られぬ様、虚勢を張る。
「此れは何様(どう)云う事か。何故、下野守(しもつけのかみ)殿が居られぬ。其れに、宝沢(ほうたく)とは一体」
 云い募る伊賀亮(いがのすけ)に、忠相は嗤って応えた。
「稲生正武殿は急病にて出仕致しかね、手前が代理を仰せつかった次第。名乗りが遅れて申し訳御座らぬが、手前は南町奉行大岡越前守忠相である。又、宝沢とは――」
 手前が云わずとも能く御存知であろう。
「知らぬ、知らぬ。如何(いか)に南町奉行、如何(いか)に稲生殿が代理とは云え、無礼を働けば赦さぬぞ」
 伊賀亮(いがのすけ)の怒声も何処吹く風と受け流し、忠相は、未だ云い逃れが出来ると御考えか、と応じた。
「此の半年、紀州表を調べ尽くすには充分な猶予であった。故に御主達の悪巧みは悉皆(すっかり)此方(こちら)に見透かされて居るぞ。観念致せ」
「此れは異な事。悪巧みとは聞き捨てなるまじ。当方(こちら)は将軍様の御胤として逃げも隠れも致す要無し。()(まで)仰せならば其の儀、存分に語り尽くすべし」
「吠えたな伊賀亮(いがのすけ)、ならば聞け。御主の持つ御墨付は慥かに将軍の直筆。信の措ける品。故に、吉宗公が徳太郎信房と名乗り措いた時分の紀州表に、沢の井なる女中が居らぬか探させた。沢の井なる名は滝津、皐月と供に加納将監宅に於ける女中の通り名にて、真名(ほんみょう)も知れず、調べは難航したが、探しに探し、訪ねに訪ねた末、平沢村のお(さん)婆、其の娘のよしが(かつ)て沢の井の()にて加納家に勤め、児を()して郷帰りを()たと知れた。(しか)し――」
 と、忠相は此処で(ことば)を切り、皆の反応を窺う様に見回した。
「其の児もよしも産後に相果て、村に弔われて居る」
 何様(どう)だ。
「此れが真相(まこと)ならば、御主達の掲げる御落胤は真っ赤な贋者(にせもの)では無いか」
「成程の御詞(おことば)には聞こえるが」
 と、伊賀亮(いがのすけ)は口を開いた。
「拙者、生憎見聞きはせぬが、慥かに御奉行の仰せの通り、平沢村のよしなる女と其の児は果敢無く御成りやも知れぬ。(しか)し、其れと此れとは関わりの無き話。全くの別人にや在らん。此れなる天一様の出自を疑う理由には成り得ませぬな」
「では此れは何様(どう)か」
 と、忠相は動じた風も無く続けた。
「可愛い我が子と我が孫を喪ったお三婆は悲しみの余りに気触れ()て、村中を罵り叫び廻る故に村を追われ、隣村の平野村預かりと成って居る。其の後に正気を取り戻し、平野村にて産婆を()て糊口を凌いで居たが、或る大雪の晩、(したた)かに酒に酔い、囲炉裏に転び落ちて相果てた。(さて)其の当時、此の村に感応院なる山伏と其の弟子が居た。お三婆の命を奪いし元凶(たね)は此の弟子の届けし酒肴。又山伏感応院は同年暮れに毒に()たって死せるものなり。双方に深く関わるであろう此の弟子は、感応院亡き跡を継ぐべしと村人に求めらるるも、山伏は難行苦行を()る者にて、未だ己は修行足らず、(しばら)く他國を流浪し、難行苦行を修めし後に跡を継がんと応え、旅に出て居る。(しか)し、其の先で野盗にでも遭ったか、血に濡れた笠、衣類のみを遺して行方を眩ました。此の弟子、九州の浪人原田何某(なにがし)の倅にて、幼年の頃両親に別れ感応院に預けられし由来、名を宝沢と云う」
 ()う云って、忠相は再び天一坊一行を睥睨した。
「天一坊、御主こそが、お三婆を殺して御墨付と御短刀を奪い、師匠たる感応院を殺して村を出る大義名分を作り、死したるを装って行方を眩ました宝沢に(ほか)なるまい」
「其処(まで)仰せに成るからには、何やら確かな証拠(あかし)が在るに違い無し。ならば是非とも御見せ願いたし」
 と、伊賀亮(いがのすけ)は低い声で云った。
「天一様を贋者(にせもの)と疑うだけならば未だしも、人殺しの汚名を着せるとあれば、()し違った時には只では済まぬぞ」
「強気で居られるのも今の内だけだと知るが好い、伊賀亮(いがのすけ)。先程御主達は間違った部屋へ通され掛けたであろう。()の部屋の中に居た者達を憶えて居るか」
 問われて、伊賀亮(いがのすけ)は眉を顰める。
 憶えて居る訳が無い。
 ()の時は血塗れの着物に目が吸い寄せられ、其の廻りに居た者達等、目に入りはしなかった。
彼処(あそこ)に居たは平沢村の百姓善兵衛、平野村名主の甚左衛門。両名とも宝沢の顔を能く知り措く者達なり。二人は供に()う云って居る。天一坊と名乗る()の男の顔は、感応院の弟子宝沢に相違無しとな。何様(どう)だ此れでも認めぬか」
愚鈍(おろか)な」
「未だ云い逃れを()るか」
「云い逃れ等ではない」
 其の宝沢とやらが平野村に居た年の頃は幾つ位であったか、御奉行は御存知か、と伊賀亮(いがのすけ)は冷たく云った。
「十二、三程であろうか」
()うであろう。其の年頃の男児(おのこ)は一年も有れば見違え、背丈も風貌(かおつき)も大きく変わる物。似て居る、似て居ないの詮議は意味無き事にて。其れで好いのならば、先達ての吟味の際にも申し措きし、天一様は将軍様に能く似て御座候故、御落胤に相違無し、で宜敷(よろし)かろうと存ずる」
 と、伊賀亮(いがのすけ)は嘲る様に云った。
「似て居るだけでは無い。宝沢の顔、下唇に小さき黒子(ほくろ)一つ、又左の耳の下に大きなる黒子(ほくろ)有り。此れは、其処なる天一坊の顔にも見て取れよう」
「其れが如何(いかが)したと」
「未だ認めぬか、此れぞ其処の者が宝沢に相違無き動かぬ証拠(あかし)であろう」
「動かぬ証拠(あかし)、と申されるか」
 伊賀亮(いがのすけ)声音(こわね)は呆れた様であった。
「ならば逆態(はんたい)に御尋ね致す。今御奉行の示された宝沢とやらの顔の特徴、書き残しか、描き写しか、何か証明(しめ)す物が御在りなので御座ろうな」
「――何と申した」
「御分かりに成らないのであらば今一度明瞭(はっきり)と申し上げる。只今御奉行は、十二、三の頃の面影が在る、証拠(あかし)の品は無いが顔に特徴が有るとの儀にて、在ろう事か、将軍様御下賜の御墨付、御短刀と云う証拠(あかし)の品を持って名乗り出た御落胤に、人殺しの濡れ衣を着せようと()て居られる事を御自覚されるが宜敷(よろし)かろうと存ずると、()う申し居る」
 顔の特徴とて、見れば外から見える物。真逆(まさか)、此れで襤褸(ぼろ)を出さぬかと鎌を掛けたのではありますまいな、と睨み付ける。
 忠相は(ことば)に詰まった。
 其処なる天一坊は宝沢で間違い無かろう。
 筋は通る。
 証言も在る。
 (しか)し――
 慥かに伊賀亮(いがのすけ)の云う通り、動かぬ証拠(あかし)は何処にも、何一つとして、無いのである。
 其の理由の一つは、伊賀亮(いがのすけ)の目論見通り赤川大膳の出自を辿る事に相当な時間と労力を浪費(つか)って仕舞ったからでもある。
 (しか)し、其れを差し引いても、矢張り無いのだ。筋書きは読めた。間違いは無かろうと思えた。其れでも、御落胤であると云う主張を覆すだけの、御墨付、御短刀以上の説得力を持つ動かぬ証拠(あかし)は、見つからなかったのだ。
「なれば――」
 と、忠相は攻める向きを変えた。
逆態(はんたい)に問うが、其方(そちら)には在るのか。動かぬ証拠(あかし)が」
「御墨付と御短刀は間違い無く真物(ほんもの)と誰もが御認めに成って居りまするが、其れでは足りぬと」
然様(さよう)
 と、忠相は頷いた。
「慥かに御墨付、御短刀は真物(ほんもの)なれど、(さき)にも申した通り、天一坊自身には疑いの儀在り」
「云い掛かりとしか(おぼ)えぬが」
「疑いは疑いなり」
 其れ以上は退()かぬらしいと見て取って、伊賀亮(いがのすけ)は黙って続きを促した。
「故に、天一坊自身が間違い無く将軍の御落胤であると云う証拠(あかし)を、御見せ戴きたし」
成程(なるほど)
 と、伊賀亮(いがのすけ)は顎を撫でた。
「其れは――」
 出来かねますな。
伊賀亮(いがのすけ)其方(そのほう)、今何と申した」
「早合点はなさらぬよう」
 伊賀亮(いがのすけ)(しず)かに忠相を制した。
「動かぬ証拠(あかし)が無い、とは申して居らぬ。只――」
 此処で御目に掛けるのは出来ぬ相談と、()う申して居る次第。
「では、何時(いつ)何処(どこ)ならば」
「――本日は、御親子(しんし)御対顔の儀と聞き及び、罷り越して居る」
 と、伊賀亮(いがのすけ)は唐突に云った。
「其れが、何様(どう)したと云うのか」
「御親子(しんし)御対顔の節には、御見せ出来ようかと」
「其れは(すなわ)ち――」
然様(さよう)
 動かぬ証拠(あかし)は――
「将軍様御自身が御持ちに御座る」
 座が(しん)と静まり返った。
「其――」
 其の様な事が在るか、と震える声で忠相は云った。
 吉宗は無いと云った。
 云ったのに。
 在ってはならぬ。
 此程(まで)贋者(にせもの)と疑わしいにも関わらず、()し在れば、御落胤と認めねばならなく成る。
「在るか何様(どう)かは、将軍様に直接確かめる依り(ほか)、御座らぬ。御親子(しんし)御対顔が叶い候えば、今直ぐにでも」
「な、ならぬならぬ。出来る筈が無い。御親子(しんし)御対顔と成れば、其れ(すなわ)ち天一坊を実子と認めたに同じ。其の吟味が未だ済んで居らぬのに、御対顔等」
()うは仰せなれども、(そもそ)も拙者共は本日、御親子(しんし)御対顔の儀整いし報を受け、参じて御座る。()しや()れは嘘偽りであったと」
 忠相は再び(ことば)に詰まる。
 (そもそ)もを云えば、此の騙し討ちも同然の再々吟味とて、天一坊側に付き合う義理は無いのである。虚を突いて強引に流れを引き込んだが故に忠相の思惑通りの論争と成ったが、決定的な証拠(あかし)証言(ことば)も出せぬ(まま)(いたずら)に時が過ぎ、今や伊賀亮(いがのすけ)も自失から立ち直って居る。
 此処(まで)に切り崩せ無かった忠相は、完全に手詰まりであった。
 何か無いか、と忠相は内心歯噛みする。
 何でも好い。
 此の場を動かせるだけの何か。
 状況を一変させるだけの何かが。
 其の時、襖が音を立てて開いた。
 力一杯に、両の手で大きく襖を押し開いた其の人影は、高らかに()う云った。
「御対顔、御対顔と、其れ程予の顔が見たいか」
 一瞬の自失の後、な、なりませぬ、と狼狽した声で忠相は云った。
 慥かにたった今、場を動かす何かを欲した。
 (しか)し其れは此れでは無い。
 終わりだと思った。
 其処に在ったのは、見間違える筈も無い、()く知った八代将軍徳川吉宗の顔である。
 吉宗と天一坊は未だ会わせてはならぬ。
 御対顔の儀を果たして仕舞えば、天一坊が御落胤であると公に認めた事に成る。
「好いでは無いか」
 と、吉宗は云う。
「江戸城にて対顔()予定(つもり)だったのであろう。なれば、此処での顔合わせは非公式と云う事に()て、世に出さぬ様に()れば好い。何依り、予が居らねば慥かな証拠(あかし)が見られぬのであれば是非も無い。予も、大層興味が有るぞ」
 突然の闖入者に驚いたのは天一坊一行も同じであった。
 余りの成り行きに(ことば)も発する事が出来ず、只呆然と事を見守る。
「して、其方(そのほう)等」
 水を向けられ、我に返り、天一坊一行は此処で初めて畳に(ぬか)ずいた。
「大変な御無礼を致し候。申し訳御座候わぬ」
「好い好い」
 気に()た風も無く、吉宗は嗤った。
「処で、何やら動かぬ証拠(あかし)を予が持って居ると、()う申して居ったな」
然様(さよう)に御座候」
 深く平伏した(まま)に、伊賀亮(いがのすけ)は応える。
「予は心当たりが無いぞ」
「恐れ(なが)ら、将軍様御自身が背負われて居る物にて、御存知無くとも、慥かに其処には御座候」
「背負うと云うが、予は只今身一つで此処に居る。何も持って来ては居らぬぞ」
(いえ)御詞(おことば)を返す様では御座候えども、目には見えずとも間違い無く将軍様が御持ちに御座候」
「其れは、面白いな」
 吉宗は心の底からの笑みを浮かべた。
「予が何を持って居ると云うのだ」
「其れは、天一様の御口依り」
 代わって、天一坊改行が顔を上げた。
「母は、徳太郎様との幾度と無い逢瀬を心待ちにし、又其の一時(ひととき)一息(ひといき)を忘れぬ様心に深く深く刻み候。母は此の天一を産みし後、肥立ちが悪く病み付き、今一度徳太郎様に御目に掛かりたいと願い続けて身罷り候。其の間際(まで)、母は身の証明(あかし)と成る様、天一に寝物語に云い聞かせ続けた事が御座候。其れが幼心に焼き付いて、今も忘れ得ぬ大切な思い出として思い起こされ候」
「其は如何(いか)に」
(すなわ)ち――」
 徳太郎様の(せな)には星が御座る。巨きく立派に張り出した、左の肩甲の屋根の下。三つ並んで星が御座る。丸で父御と母御と児の様に。
「故に御確かめ戴きたく候。吉宗様の左の肩甲骨の下に三つ並んだ黒子が御座候えば、其れこそ吉宗様と天一が母の情愛の動かぬ証拠(あかし)。此れ以上無き、此の身の慥かな証明(あかし)に御座候」


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