何故、彼女は死んだのか

「それで、なんでそんなものをわざわざボクのところに持ってくるのさ」
 渡した新聞の切れ端を片手に、不機嫌そうにこの部屋の主は吐き捨てる。この部屋、と評したが、正確には部屋と呼ぶことすら烏滸がましい。縦横高さ、その全てが5mのコンクリの立方体。出入り口はたった一つの鉄の扉。灯りは扉以外の三方にある、鉄格子の嵌った窓。その窓もほとんど天井と接するような高さにある嵌め殺しなので、鉄格子も意味があるのかどうかよく分からない。そんな殺風景かつ用途の分からない空間に、これでもかというぐらいに詰め込まれた本棚。地震が起きでもしたら間違いなく圧死できる量の書物。それ以外のものは、何もない。そこに、一人の男が棲み着いている。
 職業は、探偵。
 と言うと、大抵の人間は噴き出すか、軽蔑の視線を送ってくる。ところが、事実なんだからしょうがない。いつもボロボロの白衣を纏い、髪も整えずに本棚の間をウロウロしているような不審人物が手にできる職業と来たら、探偵か、でなければ文筆家ぐらいしかないだろう。
 本人に言わせると、探偵は職業ではないらしい。職業とは、それによって対価を得て、生活の基盤とするものを指す。ところが、探偵は、対価を得られないもの、らしいのだ。その説明がよく分からなかったのでとりあえず無視して、他の人に説明する時は職業は探偵だと言うことにしている。
 その自称探偵は、興味なさそうにコリコリと頭を掻き、無造作に本棚から一冊の本を抜き出してパラパラとめくり始める。ちなみに、たいていの場合、この動作に意味はない。話に意識を割くぐらいなら別のことでも考えようという意志の表れだ。
「自殺なんだろ?遺書も揃えた靴もなかったらしいし、目撃者もなかったらしいけど」
 それが警察の公式見解だし、他殺の線ははっきり言ってありえない。
 引っ越して数日と経たない、親戚もない初めての街。友達もない初めての学校。それにも関わらず、誰かの恨みを買って突き落とされるなんて、考えにくい話だ。もちろんのこと、不審人物の目撃証言も、ない。
 かと言って、引っ越し前からの怨恨や金銭トラブルの線も薄い。どこの誰に訊いても、彼女の周りに問題があったような話は聞けないし、少々の問題があったところで引っ越した相手を追い掛けて行ってまで殺そうとするほどとは思えない。
 となると、彼女は自分の意志で校舎の屋上から飛び下りた、ということになる。
 ところがその線もずいぶんと薄い。交友関係、母子関係、通院、近所付き合い、etc...どんな関係を洗っても、死を選ぶほど思い詰めるような問題があったようには思えないのだ。それこそ、転校した先で自殺しなければならないような問題は。
「だったら、答は一つしかないだろ」
 バカかオマエ、とその目が告げる。死ぬ理由も、殺される理由もない。となると――
「――事故、ってことか?」
「よんじゅってん」
 結構からい点数をつけられた。
「ちなみに千点満点で」
 前言撤回、結構どころか半端なくからい。なら最初から4点って言えよ。
「あのね、ちゃんと意味があるんだから分からない時は素直に聞きなさいって」
 人の心を読んだのか、半眼で睨んでくる。仕方なく肩をすくめて続きを促すと、つまらなそうに手にした本を閉じた。
「四十点はそのままにして、警察の見解からなら、百点満点。母親の説得からなら、五十点満点。ボクの基準からなら、千点満点になるのさ。だから――」
 そう言って母親を納得させてくればいい、と、そいつは宣った。
「どうせ、そこが知りたかったんだろ」
「いや待てよ、お宅の娘さんはふとした好奇心にかられて屋上のフェンスを乗り越えてみたら、足を滑らせて落ちて死にました。ご愁傷様です。と言って来いってことかよ」
「それが一番、誰も傷つかない解決だよ」
 これはボクの仕事じゃないけどね、と自嘲気味に笑う。
「運がなかったんだ、それで十分だろ。あと十点分は、ちゃんと脳内補完してくれるさ」
「じゃあ、本当は、違うんだな」
「本当は、自殺なんだろ」
 あっさりと、そう言う。
「いや、それはただの警察の見解で――」
「あのね、小説やマンガや映画の警察じゃないんだよ。知ってる?日本の重大犯罪の検挙率は90%を超えるわけ、つまり事件に際して探偵の出る幕なんて、どこにもないんだよ」
「思い切り自分を否定するな」
「キミはバカか」
 今度ははっきりとバカと言われた。
「何度も言うけどね、探偵ってのは正義の味方でも警察でも宣教師でもないんだよ。別に正しくある必要も、正しさを証明する必要も、正しさを伝える必要もないんだよ。探偵はね、ただ、真実を知っていればいいんだ。だから、真実を売って対価を得るなんてことをしちゃいけない。売った時点で、探偵の手元に残るのは、俗世の金銭だ。それは、探偵が手にしていいものじゃない。探偵が手にするべきは、真実という名の至高の宝石のみだ」
「分かったよ。分かったから教えてくれよ。警察の見解が自殺だから、事故って主張するのは赤点だってのはよくわかった。自殺の動機は分からないが、そういうことなんだろう。でも、だったら教えてくれ、探偵なら真実を知ってるんだろ、何故彼女は死んだんだ」
 そいつはしばらくじっと押し黙ったまま、何事か悩んでいるようだった。しかし、しばらくして、ゆっくりと口を開いた。
「探偵は真実を売る仕事じゃない。だから、いいかい、名目の上にしろ何にしろ、ボクはこれが真実だとは思っていないし、売ってもいないのだから、キミはこれを好き勝手に使うことは許されない。そこはちゃんと了解しておいて」
 黙って首を縦に振る。そこで、そいつは小さく息をついた。
「さっきも言った通り、死ぬ理由も殺される理由もない、そして警察は自殺だと判断した、それなら――」
 結論は一つ。
「彼女は、理由もなく、自殺した」
 それしか、ありえない。と、そいつは言った。
「知ってるかな、ミュンヒハウゼン症候群」
 沈黙を否定ととったのか、訥々と語りは続く。
「ミュンヒハウゼン症候群とはね、周囲の注意や関心を引くために嘘をついたり、自分の体を傷付けたり、病気のフリをしたりするって病気だよ。たとえば薬を必要以上に大量に摂取して体調不良を訴えたり、自傷行為をしていじめの被害者であると装ったり、ありもしないアレルギーの話をしたり、ね」
「つ、つまり――」
 彼女は、他人の注意を引くために、自分の体をいじめ続け、その結果として、今回、自殺してしまったと――
「そういう、ことか?」
「よんじゅうごてん。ボク基準で百点満点でね。これは証拠が無いからね、警察じゃあたどり着けない結論じゃないかな」
 でも、まだ、赤点。正解じゃない。
「話ちゃんと聞いてたのかな。いいかい、ミュンヒハウゼン症候群は、他人の注意を引くためにやるんだよ。だから、自殺するのなら、目撃されていないと、お話にならない。第一、本当に死んでしまっては、意味がない」
 そうか。そうだよな。
「まだ言ってなかったけど、ミュンヒハウゼン症候群には2タイプあってね、一つは自分自身を虚偽の患者に仕立て上げる通常のタイプ。そしてもう一つは、近親者を虚偽の患者に仕立て上げる、代理ミュンヒハウゼン症候群。近親者、これは、母親が子どもをそうする場合が多いね」
「なっ――」
 つまり、薬の過剰投与は母親の仕業、いじめやアレルギーは母親の妄想、そして行き着いた先として――
「我が子を屋上から突き落としたってのかっ!?」
「さんじゅってん。言ったろ。自殺だって」
「な、じゃ、じゃあ、なんで……」
「言ったろ、理由なんて、無いんだって」
 ここからは想像でしかないんだけどね、と、一言おいて、言葉を繋ぐ。
「きっと、彼女もうすうす気付いていたんじゃないかな。母親が何かおかしいということに。ただ、証拠も何もなかった。母親に渡された薬を飲むと頭やお腹が痛くなるという経験を何度繰り返しても、飲まなければもっと酷くなると言われては仕方がない。何より、自分の体調が本当に悪くなった時の母親の心配の仕方は紛れもなく真実だし、どんなに高い薬でもあなたのためにと買ってくれる、いじめじゃないのかと気遣ってくれる、転校の手配までしてくれる、そんな母親を愛しこそすれ、恨んだり憎んだりすることはなかったはずだ。精一杯母親の期待に応えたいと、そう思っていただろう。でも――」
 何年もそんな生活を繰り返していれば、疲れてしまうこともあるだろう。そして、母親をこんな生活から解放してやるためには、自分が消え去るのが一番いいのではないかと思ってしまうこともあるだろう。
「だから――」
 きっと、飛び下りた時、その本人には大した理由はなかったんだと思うよ。
 暮郡樹里(くれごおり じゅり)の自殺記事を片手に、そう、そいつは締め括った。


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