記憶掃除屋シリーズ

ここでは人の『忘却』という作用を、『記憶を卵形の不可視の物体として置き忘れるもの』として定義している。
これは、その不可視の置き去られた記憶を視ることができ、それを集めて焼却することができる能力を持つ人物、すなわち『記憶掃除屋』の物語。
この物語の全編に共通して登場するのは『ミスター』と呼ばれる一人の、男の記憶掃除屋。
全ては、彼と記憶を置き去った人々によって紡ぎ出される。
と、語ったはいいものの、中二病と紙一重というか、中二病かもしれない。
別に良いけど。


01.木馬(1999年 -> 2011年)
原点:高校時代に、とある演出家に物語を作ってみろと与えられたお題の『一台の木馬』

記憶掃除屋シリーズの始まり。
この物語のオリジナル版をくだんの演出家に見せたところ、なんだかんだで『記憶掃除屋』という存在をとある舞台に乗せるところまで行ってしまったり、友人の一人がこの物語にベタ惚れしたりしたというなんとも不思議な作品だったのだが、久しぶりに見返して手を入れたところ、まったく原形をとどめない別の話になってしまった。
どうしてこうなった。いやもうホントに。
旧バージョンがお好きな人のために一応、そっちも残しとく。


02.手紙(2001〜2003年)
原点:実家から届いたお題『Do you know me?とだけ書かれた手紙の封入された小瓶』

大学に入学してから、何故か実家から届いたお題がベース。
現在は全部で3章構成だが、実は当初は視点も結末も違う第1章しか無かった(基本骨子は同じ)。
ところが第1章を書き上げてからしばらくして第2章の構想が浮かび、それに合わせて第1章を全面改訂して、第1章と第2章をくっつけて物語を終わらせるための第3章を執筆して、プロローグ・エピローグを加えて現在の形に。
といういきさつを経ている割に、実は第2章の主人公の方が気に入っていたりする。
でもやっぱり全体を通してみると、第1章の主人公の方がちゃんと生きてるなぁと思ったり。
勝手なものである。
実は、ラストで『湯呑みはどうですか?』と誤訳したい衝動によくかられる。





―『人間』とは弱い生き物です。自分の記憶に頼ってしか生きる術を持たない。自分の記憶がなくなってしまえば、しっかりしていると思っていた足場がふと消滅してしまったかのような不安に襲われ、居ても立ってもいられなくなる。実は初めからその足場がなかったことなどとは知る由もなく……
―『記憶』などというものは脆いものです。人に刷り込まれればそうと思い込み、忘れる、誤って記憶するなどということは日常茶飯事なのです。記憶とは要するに思い込みなのです。思い込みに過ぎないのです。けれど、その思い込みがその人の中で真実として意味を持つことによって、人は偽物の足場を手に入れ、生きていく事ができるのです。
―『生きる』とは自分を騙し続けるということです。偽物の足場を自分で築き上げ、思い込みで塗り固めた記憶を足下に積み重ねるという事です。
―そして『私』は、人が生きる手助けをする者。行き場をなくした人や、足場がぐらつきそうな人にそっと手をさしのべる。つまり、記憶を取り扱う者。忘れ去られた記憶を処分し、必要だと思う記憶を人に手渡し、この世で最も気高く、最も罪深く、最も慈悲に溢れ、最も残酷なものを生業として生きる……
―『私』は、『記憶掃除屋』です。

―そしてこれらは、そういう記憶たち……




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