陸
口性無い者達は云う。女三人寄れば姦しい、と。
其処を云えば、御屋敷の飯炊き女達は毫なく見積もっても其の倍は姦しい。
先ず、女許りが三人と云わず、五人と云わず、集まって居る。
更に、台所は菜を刻む音がする。魚を切る音がする。脂の焦げる音がする。薪の爆ぜる音がする。鍋の煮立つ音がする。器の鳴る音がする。其の中で負けじと声を張る。
加えて、男子禁制の女の園である。故に歯止めが掛からない。家の旦那が腰を痛めた。隣の奥さんが出て行った。向かいの子が熱出した。軒下の猫が仔を産んだ。と、話の種が尽きる事は無く、又、声を潜める理由も無い。
其の中で、ふと発せられたのが、此の問いであった。
或る婦が斯う尋ねた。
あまのじゃく、とは一体何で御座居ますか――と。
「なんだい、天邪鬼を知らないのかい」
然う応じたのは、毫し年嵩の肥え肉の婦であった。名をおたかと云い、勤め乍ら三人の子を育てて居る剛い婦である。先頃迄は、上二人に対して毫し離れた一番下の子を背に負って勤めに来て居た。其の最初の子を産む依り前からの御屋敷勤めであるから、飯炊き女の中でも比較的古株で、而も身体に見合って声も大きいものだから、自然、炊事場の話題はおたかが中心と成る事が多かった。
おたかは、近頃に成って漸く末の子が手を離れて依り感じて居る、背中が軽い様な、心許無い様な、何とも云えぬ掻痒い念いを振り切る様に、毫し許り意識して声を張った。
「天邪鬼って云うのは彼れさ。能く云うだろう、稚児が、彼れも厭だ。此れも厭だって云ってさ。一つとして、素直に諾と云う事が無く、一つとして、温順しく受け取る試しが無いって頃。彼あ云うのを、天邪鬼って云うのさね」
家の子にも在ったよう、と笑い乍ら云うと、周りからも家も妾もと声が上がった。
噫、其れで、と最初に問いを発した壮い婦は頷いた。
「否ね、お隣の奥さんが、家の子は真実に天邪鬼で、と困った様に云う物だから、其れは大変で御座居ますね、とお返事は致しました物の、一体何様云う意味だろうと思って居りまして。でも、慥かに隣のお宅のお子さんは真実に利かん坊で。飯をお上がりなさいと云うと、厭。では食べなくて好いと云うと、厭。では食べるのかと訊くと、厭。片付けて仕舞いますよと云うと、厭。然う云った遣り取りが毎晩の様に聞こえて参ります」
然う云うと、台所には自然、笑いが溢れた。
各々が我が子を思い出しでも為た物であろうか。
其れで、と婦は続ける。
「何様為て其れを天邪鬼と呼ぶので御座居ましょう」
「扠ね」
と、おたかは短い猪頸を傾げた。
「旧来から然う云うのさ。詳しい由来は知らないよ」
慥か昔話が在った様に思うけれどねえ。
誰か知らないかい、と台所の隅々迄聞こえる様、おたかは声を張る。
「天邪鬼の話をさ」
今日の飯場の話の種は、斯う決まった様であった。
其れは――
「其れは、瓜子姫と天邪鬼の御噺、で御座居ましょうか」
と、聞き慣れない上擦った声が、炊事場の日常の喧噪の中に飛び込んだ。
見れば、炊事場の勝手口から、見知らぬ、線の細い男が、頸を伸ばす様に為て顔を覗かせて居る。思わず声を発して仕舞った物の、己が場違いな闖入者であると悟り、踏み込んで好い物か去るべきか、迷う様子できょときょとと辺りを見回し、中を窺って居る様子である。
其れでも、己の身の内から飛び出した詞を裏切る事は出来なかった様で、恐る恐る、再び口を開く。
「あのう、そのう、先程のは、瓜子姫と天邪鬼の噺、で宜敷う御座居ましょうか」
噫、慥か然う云う噺だったねえ、と、おたかが大袈裟に応じた。此の可哀想な程に挙動不審な奇妙な客を、受け容れるにしろ、追い払うにしろ、一先ずは詞を交わさねば何にも成らぬ、何も分からぬ、何も出来ぬと考えた様であった。
其れで、お前さんは――
「其れで、其の、瓜子姫と天邪鬼の噺を、何方も詳しくは御存知無い、と」
云い掛けたおたかの詞を遮る様に、と云うよりは、其れが耳に入っても居ないかの様に、男は捲し立てた。
然うだけれど、だから、お前さんの――
「其れでは、僭越乍ら某がお聞かせ申しましょう」
ずい、と勝手口から男は半身だけ中に踏み込んだ。
痩せぎすの、血色も好くは無い、襤褸を纏った、見窄らしい姿の男であった。
調えられては居ない物の月代を剃って居り、存在を忘れ去って居るかの様に手も掛けないが腰の物が提がって居る辺りから、身分の無い浪人か何かであろうと云う事は推して知れる。併し、其れ以上の事は何一つ知れぬ。知れぬが――
邪気の無い眸で、和やかに、瓜子姫と天邪鬼、等と云う物だから、婦達は怯える依り、警戒する依り、怖れる依り先に、毒気を抜かれて仕舞った。
男は、瓜子姫と天邪鬼、とは此の様な噺に御座居ます、と嬉しげに続けた。
昔々、或る処に年老いた夫婦が暮らして居た。
二人には子が無く、何時授かるか、何時授かるかと、長年心待ちに為て居たが、其処は天の采配、仏の縁。一向に子は出来ぬ儘に其の身は老い朽ちようと為て居た。併し二人は仲睦まじく、支え合って其の日、其の日を過ごして居た。
扠、或る日の事。
平時の様に爺様は山へ柴刈りに、婆様は川へ洗濯に向かった。
婆様が川で洗濯を為て居ると、何と川上から、どんぶらこどんぶらこと、巨きな瓜が流れて来た。
婆様は其の見た事も無い様な瓜に眸を丸く為たが、負けじと大きく息を吸い込み、美味い瓜なら此方来、不味い瓜なら彼方行け、と大声で歌って見た。
すると何様為た事か、瓜は流れを横切る様に、つい、と婆様の目の前に流れ着いたのである。
婆様は其の瓜を大事に大事に抱えて帰ると、爺様の帰りを待つ事に為た。
山から戻った爺様も、其の巨きな瓜を見て眸を丸く為たが、此れも仏様の御恵みかと二人手を合わせ、婆様が割ろうと包丁を入れようと為た其の途端、瓜は独りでに真っ二つに割れ、中から輝く許りの、可愛らしい女児が現れた。
二人は、己達の長年の願いを知っての御仏の御慈悲に更に感じ入り、其の子を瓜から生まれた瓜子姫と名付け、大切に大切に育てる事と為た。瓜子姫は大きく成るにつれ、機織りを為て爺様婆様を扶ける様に成った。瓜子姫の織った織物は素晴らしく、隣の隣の其の又隣の大きな街でも飛ぶ様に売れた許りか、瓜子姫の機織りの音は、とってんからりとんからり、と野山を越えて何処までも美しく響き渡り、畑仕事を為る村人も手を止め、小鳥も歌い囀るのを止め、獣も追い追われるのを止めて聞き惚れ、誰も彼もに此れは何の様な美しい人が織る機の音だろうかと考えさせずには措かない様であった。
扠、瓜子姫も何時しか年頃と成り、爺様婆様は、必ずや好い輿入れ先を見付けねばと考える様に成った。
其処で或る日、爺様婆様は近隣では一番の長者の元に出掛け、何と為ても縁談を纏め上げようと考えた。
爺様婆様が揃って長く家を離れるのは初めての事であり、心配を為ぬ訳は無かったが、爺様婆様は瓜子姫に斯う強く云い含めた。
――好いかえ、誰が誘いに来ても決して外に出てはいけないよ。
――誰が来ても、招き入れてはいけないよ。
――誰が来ても決して戸を開けてはいけないよ。
――特に裏の山の小鬼には気を付けなくてはいけないよ。
解りました、と瓜子姫は頷いた。
御爺様、御婆様、何卒お早くお帰り下さいませ。
然う為て爺様婆様は、後ろ髪を引かれる思いを為乍らも、家を後に為た。
扠、瓜子姫と爺様婆様の暮らす家の裏山には、天邪鬼と云う名の小鬼が棲んで居た。此の小鬼は大層狡賢く、悪戯好きで、人の心を読んでは悪さを為る不届き者であった。此の天邪鬼は、綺麗な綺麗な瓜子姫も何とか一度騙くらかして遣ろうと機を窺って居た。併し、平時は爺様婆様が目を光らせて居て如何為ようも無かったのであった。
其処へ差しての、千載一遇の好機。此れを逃してはなる物か、と天邪鬼は考えた。
然うとは知らぬ瓜子姫は、とってんからりとんからり、と平時の様に機を織り始めた。
暫くすると、不意に、誰かが戸を叩く音がした。
瓜子姫は手を止め、戸の側まで寄って声を掛けた。
「御爺様、御婆様、もうお帰りで御座居ましょうか」
――然うだよ、此処を開けてお呉れ。
其の声は爺様にも婆様にも似ず、粗い鑢でも掛けたかの様に掠れて低く野太い皺嗄れ声であった。
其処で瓜子姫は、ははあ、此れが噂に聞く裏山の小鬼、天邪鬼だなと合点し、斯う答えた。
「真実の御爺様、御婆様であるならば、窓から手を見せて下さいまし」
天邪鬼は、好し来たと許りに窓から手を覗かせた。
其れは、爪は尖って薄汚れ、指は節くれ立って垢だらけ、其の上毛むくじゃらの醜い手であった。
「其れでは次に、髪を見せて下さいまし」
天邪鬼は、自慢の髪を一房窓から差し入れた。
其れは、乱れ縺れて、捩くれて、泥と埃と皮脂に塗れ、木の葉と小枝が絡まって、一度も梳った事等無い醜い髪であった。
「最後に、歯を見せて下さいまし」
天邪鬼は、しめしめ上手く行って居るぞと窓に向かって口を大きく開けた。
其れは、てんで勝手に聳え立つ、鋸の刃の様な乱杭歯で、囓った木の実の屑や獣の筋が其処彼処に引っ掛かった醜い歯であった。
瓜子姫は、まあ、と態とらしく声を上げた。
「御爺様、御婆様の手はもっと丸く優しくて、髪は絹の様に滑らかで、歯は川石の様に磨かれて居る筈。然為れば其方は屹度、裏の山の天邪鬼」
見破られた天邪鬼は地団駄を踏んで悔しがったが、露呈て仕舞っては仕方が無いと直に考え直し、次の策に打って出た。
「然うさ能く分かったな、己が世に聞く天邪鬼だ。併し己の事を何様聞いて居るかは知らないが、己は然う悪い奴じゃないのだぜ。今日は好い事を教えに来た。裏山に其れは其れは見事な柿が生って居る。大きく実って美味しそうだ。何様だ、一緒に取りに行こうじゃ無いか」
瓜子姫は其の誘い文句に思わず釣られそうに成ったが、爺様婆様の詞を思い出して頭を振った。
「否、外に出る訳には参りませぬ」
「柿はたんと生って居て、何れも重たく瑞々しく、風に揺られて居るのだぜ。一つでも食べれば長生き間違い無しだ。爺さん婆さんの為にも取りに行って遣ったら何様だい。家に入れて呉れたら、己が其処迄案内為ようじゃないか」
瓜子姫は爺様婆様の為と云う文句に思わず揺れそうに成ったが、必死で頭を振った。
「否、誰も入れる訳には参りませぬ」
「然うか、残念だなあ」
と、天邪鬼は一転、萎れた様に云った。
「此んなに甘く、此んなに美味く、此んなに瑞々しく、此んなに見事で、爺さん婆さんも大喜び間違い無しなのになあ」
瓜子姫は寸の毫し悪い事を為て居る様な気にも成ったが、強いて頭を振った。
「否、戸を開ける訳には参りませぬ」
「然うか、残念だなあ」
然う云って、天邪鬼は黙って仕舞った。
瓜子姫も暫く黙って戸口に立って居たが、斯う為て居ても仕方が無いと、機織りに戻る事に為た。
併し、気掛かりな事が在ると矢張り手が進まない。
織っては止まり、又織っては休みを繰り返し、機織りの音も精彩を欠く。
終には、機織り其の物迄も、止まって仕舞った。
瓜子姫は、一つ大きく息を吐くと、立ち上がった。
其の儘戸口迄足を進めると、往来に向かって声を掛けた。
「天邪鬼、天邪鬼、其処に居るのですか」
何だね、瓜子姫、と元気の無い声が返って来た。
瓜子姫は悟られぬ様、小さく安堵の息を吐くと、斯う続けた。
「其の、裏山の柿は、其れ程迄に美味なのですか」
「其れは勿論」
と、天邪鬼は応えた。
「でも、一緒に取りに行こうにもなあ」
瓜子姫は、息を整え、云った。
「若し好ければ、一片分けて貰えませぬか」
「其奴は好いけれど」
と、天邪鬼は困った様に云った。
「戸が開かぬ事には其れも出来ぬ相談」
「肯、大きく開ける事は出来ませぬ」
「ならば、せめて爪が入るだけ」
「では爪が入るだけ」
瓜子姫が心張り棒をずらし、戸を細く開けると、尖った爪がぬっと覗いた。
「此れでも柿は通るに通らぬ。せめて指が入るだけ」
「では指が入るだけ」
瓜子姫が更に心張り棒をずらし、戸の隙間を広げると、節くれ立った指がずいと掛かった。
「此れでも柿は通るに通らぬ。せめて手が入るだけ」
「では手が入るだけ」
瓜子姫が更に心張り棒をずらし、戸の隙間を広げると、毛むくじゃらの手が確と戸を掴み、力任せにがらがらと押し開いた。然う為て天邪鬼は、瓜子姫に悲鳴を上げる間も与えず、肩に抱えて風の様に裏山へと連れ去って仕舞った。
裏山に在る巨木の下に着くと、天邪鬼は瓜子姫を地面に蹴り転がした。
「何を為遣る天邪鬼。矢張り妾を騙して――」
「騙してなぞ居る物か。上を見遣れ、瓜子姫」
云われて、瓜子姫が巨木を見上げると、何と驚く事に、其れは見た事も聞いた事も無い様な立派な柿の木であった。撓わに実った算え切れぬ程の柿の実が風に揺れる様は当に壮観で、慥かに見ただけで此れは何やら霊験も在りそうに思えた。瓜子姫は、此処迄来て仕舞ったのだから、此の柿を是非爺様婆様に持ち帰りたい物だと考えた。
併し、瓜子姫は木登り等為た事が無く、登ろうにも登り方が解らぬ。否、解った処で、着物の裾が邪魔を為て満足には登れぬ。其れを見て取った天邪鬼は、蕩けた笑顔で斯う持ち掛けた。
「瓜子姫。若し好ければ、着物を交換為るのは何様か。慥かに己の襤褸は薄汚く、肌触りも悪い。けれども、裾は短く邪魔には成らぬし、破いた処で気にもならぬ」
云われて瓜子姫は、一理在るかと頷いた。
其れを見るや否や、天邪鬼は手早く着物を取り替えて仕舞い、早く登れと瓜子姫の尻を叩いた。上へ上へと追い遣られ、瓜子姫は気付かぬ内に目も眩む様な高い枝の上迄辿り着いて居た。其処で天邪鬼は又も蕩けた笑顔を浮かべた。
「やあ瓜子姫、此の様な高い処から落ちて仕舞っては大変。ついては落ちぬ様、縄で括り付けて差し上げよう」
然う為て、瓜子姫の返事も待たずに縄で縛り上げ、自分だけはするすると木を降りて、飛ぶ様に爺様婆様の家へと舞い戻った。
天邪鬼は瓜子姫の着物を着て瓜子姫に成り済ますと、見様見真似で機を織り始めた。其の音は、どっかんばきばきどんがたり、と聴くに堪えぬ騒音で、村人鳥獣に至る迄、皆が耳を塞ぐ程であった。
扠、思いの外首尾良く縁談を纏め上げた爺様婆様は、祝い事は早いに超した事は無いと食うや食わずの急ぎ足で家へと戻った。
帰って見ると、聞こえる機の音は聞くに堪えぬ酷い物。此れは何事かと戸を叩いて見ると、中から返る応えは、低く野太い皺嗄れ声。
「御爺様、御婆様、もうお帰りで御座居ますか」
「然うだよ、瓜子姫」
「真実の御爺様、御婆様であるならば、窓から手を見せて下さいまし」
云われて爺様婆様は顔を見合わせた。真逆爺様婆様の声を聞き忘れたとは思えぬ。
併し、瓜子姫が然う云うのならば、云う通りに為よう。
爺様が手を見せると、其れでは次に、髪を見せて下さいまし、と声は続けた。
愈々以って怪訝しいと爺様婆様は思った。併し、奇妙であると思った処で、云われた通りに為る依り外は無い。
婆様が髪を一房差し入れると、最後に、歯を見せて下さいまし、と声は云った。
此れは一体何様云った事であろうかと、爺様婆様は頸を傾げた。併し、頸を捻った処で何も生まれぬ。
爺様婆様が窓に向かって揃って大きく口を開けると、中からの声は斯う云った。
「成程、手は丸く優しくて、髪は絹の様に滑らかで、歯は川石の様に磨かれて居る。此れぞ正しく御爺様、御婆様。お帰りなさいまし」
然う為て、内から戸は大きく開かれた。
つんと鼻を衝く獣臭。思わず爺様は尋ねて居た。
「瓜子姫、変わりは無いかね。何様やら声が怪訝しい様子」
「肯、其れは独りで寂しくて、今の今迄泣き明かして居た為で御座居ます」
次いで婆様が尋ねた。
「機織りの音も怪訝しい様子」
「肯、其れは泣き濡れて手元が覚束無かった為で御座居ます」
再び爺様が尋ねた。
「何様して着物をすっぽり被って居るのだね。私達に顔を見せて呉れ無いのかい」
「肯、泣き明かしてみっともない顔はお見せする事は出来ませぬ」
再び婆様も尋ねた。
「其れに此の臭い。一体何様為て仕舞ったのかね」
「肯、泣いて泣いて水浴びを為る事も忘れて居りました」
爺様婆様は、腑に落ちる様な落ちぬ様な心持ちがしたが、今は然うも云って居られないと云う事に気付いた。
「好いかい瓜子姫、喜ばしい事にお前は長者様の御眼鏡に適ったのだよ」
「お前は長者様の処に輿入れになるのだよ」
「迎えはもう近く迄来て居るのだよ」
「仕方が無いからお前は俯いて黙っておいで。私達が悪い様には為ないから」
瓜子姫の着物を纏った天邪鬼は、黙って頷いた。
然う斯う為る内に長者の迎えの駕籠が着いた。
迎えの使者が、瓜子姫であるな、と問うと、天邪鬼は促される儘に黙って頷いた。代わって婆様が、瓜子姫は気分が優れない様子。思わぬ慶事に気が動転して居るので御座居ましょう、と云うと、使者は然も有りなんと頷いた。
其れでは、と促されて天邪鬼が駕籠に乗り込み、輿入れの行列は長者の家を目指して歩き出した。
途中、竹藪を過ぎる時に風が吹いて竹の葉が、御覧よ御覧、変梃な花嫁行列が行くよ、と鳴った。
又暫く行くと、小川の流れが石に当たって、可笑しや可笑し、瓜子姫の代わりに天邪鬼を乗せて駕籠が通る、と鳴った。
又暫く行くと、今度は小鳥が寄って来て、哀れや哀れ、瓜子姫は裏山の柿の木の上に、と鳴いた。
変事が三つも重なり、怪訝に思った使者が、こっそりと駕籠の簾の端を捲って見ると、外からは見えぬと気を抜いたのか、瓜子姫の着物を着た天邪鬼が堂々と身を休めて居る。此れは此の天邪鬼に騙されたか、と悟った使者は休憩と偽って駕籠を止め、花嫁の護衛にと付けられた侍達に合図して、一息に駕籠の中の天邪鬼を捕らえて引き摺り出した。
完全に油断為切っていた天邪鬼は為す術も無く縄を打たれた。
然う為て、囚われの天邪鬼に使者は斯う告げた。
「やい天邪鬼。よくも我等を騙して呉れたな。此の罪、八つ裂きに為ても飽き足らぬが、我々とて鬼では無い。お前が攫った瓜子姫の居場所を教えるなら、赦して遣らぬでも無いが、さあ何様為る」
最早此れ迄と悟った天邪鬼は温順しく柿の木迄一行を案内し、瓜子姫は無事助け出された。天邪鬼は命辛々山へ逃げ帰り、長者の下へ嫁いだ瓜子姫は、其の後、仕合わせに暮らしたと云う。
「と、大筋、此の様な噺に御座居ましょう」
男が然う云うと、おたかは、然うだった然うだった、と頷いた。
「あんた、詳しいねえ」
感心した様におたかは然う云うが、其の後ろで幾人かが、何とは無しに腑に落ちぬ表情で居るのを、男は見逃さ無かった。
「あの、其方の方は、何か気に掛かる事でも――」
不意に水を向けられた若い女は、驚いた様に身を竦めたが、皆の視線が自分に集まって居るのを察すると、否、何も、と更に身を縮こまらせて仕舞った。其れを見て男は、小さく頷いた。
「若しか為ると、其方の方は陸奥か北陸、何れにせよ東國の方の御生まれでは御座居ますまいか」
「は、肯。其の、其れが何か」
其の答を聞いて、男は更に大きく頷いた。
「詰まり貴女は、瓜子姫と天邪鬼はもっと血腥い、おどろおどろしい噺では無かったかと、斯う思われたのでは御座居ませぬか」
「は、肯。左様で御座居ます。何故、其れを――」
「今から其の訳を。と云っても、何故然うなのか、の理由は分かりませぬ」
一説には、陸奥、北陸の方が冷害が厳しかった所為では無いかとも云われては居りますが、と、大仰に手を振り乍ら男は続ける。
「此の瓜子姫と天邪鬼の噺、西國では今の様に穏健な筋書きに成るので御座居ますが、東國では何方かと云うと、怖ろしい人食い鬼を真ん中に据えた筋書きに成って仕舞うので御座居ます」
具体的に申しますと、天邪鬼は瓜子姫の着物では無く、生皮を奪って成り済まして仕舞うので御座居ます、と云うと、其の場の幾人かが息を呑んだ。
「其れ許りか、瓜子姫を切り刻み、鍋に仕立てて爺様婆様に食わせる、と云った筋である事も御座居ます。天邪鬼の罪を暴くのも、打ち捨てられた瓜子姫の骨から化生した小鳥が鳴いて知らせるとされて居たり、天邪鬼の最後も野に解き放たれるのでは無く馬で八つ裂きにされ、其の血が飛び散ったが為に蕎麦の根元は紅く染まって居るのだと為る噺等も多く御座居ます」
昔噺故、何が正確しいと云う事も無いのでは御座居ましょうが。
閑寂と、台所には珍しく、静寂が場を支配した。
「噫、其れで――」
と、男は場の空気を沈めて仕舞ったのを誤魔化す様に、努めて明るく云った。
「瓜子姫と天邪鬼の噺は此の様な物で御座居ますが、何故、彼れも厭、此れも厭と云う捻くれ者を天邪鬼と呼ぶか、と云う処に話を戻しましょう。今お話し致しました通り、天邪鬼とは人の心を読み、弄び、逆撫で為る様な悪戯を仕掛ける小鬼で御座居ますから、只相手の意を知っても猶汲まずに、本心からでは無く敢えて逆らって見せる旋毛曲がりを、其れに擬えて天邪鬼と呼ぶので御座居ましょう。其の、稚児の様に」
男が然う結ぶと、空気は些か弛緩した。
「小鬼、ねえ」
慥かに小鬼位が云い得て妙かもねえ、と、おたかが笑う。其れで大勢の流れは決まった。
「其の癖に、天に逆らう邪な鬼って云う名前が大層大袈裟じゃ無いか。其りゃ三歳四歳の稚児にとっちゃ親なんて云うのはお天道様みたいな物かも知れないけれどね。だから却って自分の事をお天道様に逆らう大悪人だぞ、位に思うのかも知れないけれどね。斯う為て見れば、可愛らしい物だよ」
「ええ、真実に」
と、男も頷く。
「因みに、実は元を辿れば、天邪鬼の天は今仰った通り、お天道様の天と遠からぬ仲、なので御座居ますよ」
「へえ、然うなのかい」
「お天道様、則ち天照大神の孫である瓊瓊杵尊が天から地に御降臨為される際に、先触れとして送られた天稚日子と云う神が居るので御座居ますが、此れが、天邪鬼の元なのでは無いか、と云われて居るので御座居ます。天稚日子は天若彦等とも書きます故、天の若」
「何だい、其奴も臍曲がりなのかい」
おたかが笑い乍ら云うと、男は真面目腐った顔で、左様で御座居ます、と応じた。
「此の天稚日子、先触れとして降りたにも関わらず中々復命せず、其れ許りか、問責に派わされた雉名鳴女を矢で射殺すので御座居ます。併し、鳴女を貫いた矢は其の儘天迄届いた後に投げ返され、逆態に天稚日子を討ったと伝えられて居ります」
「成程ね」
と、おたかは頷いた。
「天から請け負った仕事を怠った許りか、天に刃向かった咎の報いを受けたって事だね」
「仰る通りで御座居ます。又、天稚日子に仕え、雉名鳴女の到来を天稚日子に教えた天探女も、今一つの天邪鬼の元と成ったのでは無いか、と云われて居ります」
「此方は名前が分かり易いね」
「左様で御座居ます。天探女は必ずしも天に逆らう者では無いので御座居ますが、結果として天の遣いである鳴女が射られる原因と成った事、又、探女の名の通り、天の動きや相手の心の内を探る事を得手と為る事から、天の邪魔をし、人の胸の内を読み取って悪戯を仕掛ける者として、今日の天邪鬼の原型と成ったのでは無いかと」
おたかは今一度頷いた。
「お前さんは何でも知って居るねえ」
何でも、とは畏れ多う御座居ます、と、男は身を竦めた。
此の男の話は分かり易く、興味深い。
語り口も軽妙で、思わず引き込まれる。
知識も豊富で話が尽きると云う事が無い。
併し。
併しである。
「然う然う、天照大神と云えば其の弟の素戔嗚尊にも面白い話が――」
否、待て。
抑も――
「御主何者だ、此処で何を為て居る」
又も、突然の声が、台所に響いた。
思い掛けぬ第二の声に、其の場の皆の視線が一点に集まる。
声を発したのは――
「だ、旦那様」
誰かが吐息と伴に然う、漏らす。
有ろう事か、其の人物は御屋敷の主人にして、婦達の雇い主。
此処を偶々通り縋っただけであるならば、未だ好い。皆の手が止まり、話に聞き入って居た事は申し訳ない事であり、謝るべき事ではあろう。併し、此れが若しや朝餉の支度が遅いからと見に来たのであれば、輪を掛けての大失態である。而も、話の中心に居たのは得体の知れぬ――
皆が硬直する中、誰よりも早く我に返ったのは、意外な事に、闖入者たる件の男であった。
「やや、此れは申し訳御座居ませぬ。某、趣味の事となると直に周りが見え無く成る悪癖が御座居まして、常々両親にも叱られて居た次第。否、然う云う話では御座居ませぬな」
関東郡代、伊奈忠逵様に相違御座居ますまいか、と男は土間に平伏した。
「某は一介の素浪人、本多儀左衛門と申しまする。何様為ても伊奈様の御耳に入れたき儀が御座居まして、斯く罷り越して御座居ます」
僅かな時間で結構で御座居ます故、御耳を御貸し戴けますまいか、と其の男は頓いて云った。
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