巷説百物語拾遺

天狗攫い(2011年)天狗(2017年)改題
原点:高瀬舟(森鴎外) & 巷説百物語(京極夏彦) & チェンジリング(西洋の伝承)

高瀬舟のリメイク。
ぶっちゃけると西巷説百物語を読んでやっぱり良いなぁと思いつつ、数えずの井戸を読んで何だと!となったので、再挑戦してみたくなったからこうなった。ちなみにチェンジリング(取り替え子)とは、そういう洋画もあるけど、元は妖精が自分の子と人間の子を取り替える伝承。内容的にはほぼ書いた通り。
今回は、書いた分量はちゃんと二次創作の範囲に入れて構わないぐらいちゃんと書いた。
下調べもしたし、一応、当たれる限り史料にも当たった。
とは言え、相手は片やその時代を代表する文豪の一人、片や直木賞作家。しかも原案がその受賞シリーズ。本当に好きな人が読んだらマジギレされても仕方ないような気がする。
ファン心が昂じての物と大目に見て貰えたら嬉しいなあ。
嗤う伊右衛門、覗き小平次、数えずの井戸みたいに京極先生が本気で高瀬舟の翻案を始める可能性もあるので、その時は見比べたりしないで。お願い。と一言。
ちなみに公開は京極先生に許可を得たりしてないし、公式に無関係なので向こう様にはご迷惑をおかけしないようにお願い。何かあったら直接こっちにお願いします、いやもうマジで。許可取れよという意見が来たら、そうかなぁと思って公開停止してちゃんと許可もらいに行くので。
まぁ、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


皿かぞえ(2015年)
原点:番町皿屋敷(岡本綺堂) & 皿屋敷(田中貢太郎) & 数えずの井戸(京極夏彦)

拾遺と書いて二次創作と読む。
間違っても遺った物を拾って補足の意ではなく、京極先生が拾い遺したカスの意。
数えずの井戸のあの迫力に度肝を抜かれつつ、「分からねえのだ」で片付けられてしまったので分かってみた。つまり数えずの井戸の後日談であり、そっちを先に読んだ方が良いかも。別にこれ単体でも読めるとは思うけど。
作中でお菊が皿を数えてどうすんだよということを延々突っ込んでるけど、それは数えずの井戸の中身なので、こっちには答はない仕様。数えてたのはお菊じゃなくて義虎というのがぼくの答。
ついでに、番町皿屋敷の伝説的には(天樹院様のお屋敷は番町に無かったのに何故か・傳通院の了誉上人はとっくに死んでるのに何故か、など)そうなっているところをちゃんと拾ってみた。
……だから、ファンにしてみたら余計に京極先生に喧嘩売ってるようにしか見えない気がしている今日この頃。
大丈夫かなぁ。怖いなぁ。
……からの、南極先生ネタを入れようと思ったんだけど、書いてみたらここが作品解説的な場所であることもあってもの凄く痛々しかったので止めた。
そんな感じで、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


夜啼石(2015年)
原点:飴買い幽霊・子育て幽霊(伝承) & 夜泣石(伝承) & 巷説百物語(京極夏彦)

巷説百物語拾遺第三弾。
ちなみに構想上、あと三つで一旦完結予定。プロットは七割・一割・三割。
登場してくる女性達がことごとく恵みだの幸せだの喜びだの富だのが名前に付いているのは100%偶然。夜泣石も飴買い幽霊も各地に色々と伝承があるのに、肝心の女性に伝承的には名前が残ってないので適当に付けたら何故かこうなった。何故だ。
なお物語のメインストリームは小夜の中山の夜泣石と、長崎の子育て幽霊。井戸の話がちょろっと出て来るのは、長崎の子育て幽霊の話との兼ね合い。その他、京都のみなとやもちらっと。
あとは、実は轟業右衛門に盛った毒は、ある程度以上の年齢の人は知っているであろう某有名な実在の毒。地上最強の天然毒の一つと呼ばれる例のアレ。当て字で変な名前を付けようかとも思ったけど、ボツりぬ
珍しく二作続けて巷説百物語拾遺だったので、途中で若干妙な疲れを感じて来てたというのは秘密。
構成が人を繋いで一繋ぎに時系列を逆順に遡っていくのは、過去に向かって伏線を張るというのが面白そうだったのと、正順だと伏線が張りにくそうだったから。
仕掛け全体の構成と順序が逆さまの相似形だなというのは今気付いた。
よーし、次こそは現代日本語で横文字も交えつつ馬鹿な文章書くぞーと、今は思っている。
このシリーズを書くと変換が妙なのを優先して出すようになっちゃたりするのもあって、暫くはちょっと書きにくいのも難点の一つ。
でも好きなんだよなぁ、こういうの。面白いと思ってもらえているといいんだけども。
だから、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


幽谷響(2016年)
原点:ハーメルンの笛吹き男(伝承) & 巷説百物語(京極夏彦)

巷説百物語拾遺第四弾。
前回書いてたプロット七割・一割・三割の一割のヤツ。順番!どうしてこうなった!
いや、単純に七割のヤツを仕上げるにはもう一つ史料が必要で、それを取り寄せるのに掛かる労力(あっち)と、インスピレーションの爆発の結果比較的簡単に史料が集まってしまった経緯(こっち)との差し引きの結果なんだけども。
なおハーメルンの地名をもじったりした地名を村に付けてないのは、そんな変な名前は日本に無いから。でも、ハーメルン(Hameln)はドイツ語の『冠水牧草地』を意味する要素辞『ham』から来ていると推測されているので、そういう土地だからハーメルンということでよいと思われる。
ついでに言うと、ハーメルンの子らはハーメルンからカルワリオ山の方向(東)へ連れ去られて、コッペンブルグ(あるいはコッペン=丘)で山に呑まれたというのが元々の伝承。カルワリオというのはラテン語で、ゴルゴダ(ヘブライ語)、カルヴァリー(英語)、と同じく意味する所は、髑髏。ゴルゴダの丘は処刑場だし、その辺は全部合せてあるのである。
あと、春梅屋がもじりと言えばもじりかな。
なお、飛騨高山といえば覚(サトリ)という妖怪が比較的有名で、その根底は幽谷響と同じであると柳田国男が言っているんだけど、さすがにそこまでやるとわけがわからなくなるので、やめ。
天狗と幽谷響、特に天狗についてはいろいろと研究論文も出ているので興味があればお調べ下さい。
そして最後の敵の姿が朧気に見え始めた今回。予定では後二篇で完結と書いたけど、どっちもこいつが手を出して来るはず。
実生活でこれから忙しくなるけど、あと二年以内には完結させるつもり。気長にお待ちを。
ということで、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


(2017年)
原点:和霊騒動(伝承) & 巷説百物語(京極夏彦)

巷説百物語拾遺第五弾。
所謂プロット七割のヤツ。
時代考証的には突然歴史を滅茶苦茶遡って、しかも物語の時系列を見ると幽谷響の後という、何それな位置。いや、もっと正確に言うと、今回のこれが極端に酷いっていうだけで、元となった事件などの時系列は元からぐちゃぐちゃなんだけど。
でも、京極先生が御行の又市というのは記号ですって言い切っちゃってるので、良いのです。ということにしよう。
もう物語全体も終盤に近いということでプロット切ってから書いてみたら、自分にはその書き方が全然向かないんじゃないかと心底思わされた。結局思わぬ方向に転んだ部分もあるし。
あと、御行達が関わって来る時点で事件の殆どは過去になってしまっているので、結構書きにくかった。
ただの事実の羅列みたいに書いたらつまらないし、だからといって普通に書くのも妙な感じだし。
結果、過去話のセリフは全部地の文に取り込むという形に落ち着いた。
そしたら今度は、脳卒中を患った伊達秀宗の吃り言葉を、発音通りに書くとあまりに冗長になるので、地の文に取り込んで骨子はこれだけど、実際は吃ってます、みたいな表現にしてみたところと被っちゃって。まぁ、仕方ない。うん。
あと、恐水病は別名狂犬病。かの有名なヤツ。
兎に角、事件はあと一つで完結予定。時代考証的にはまた物凄く怒られる時代の事件を持って来た。
プロットは大まかに切ってあるけど、つまり、また苦労するんだろうなぁ。
とは思うけど、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


六部殺し・前篇/海座頭(2017年)
原点:天一坊事件 & 巷説百物語(京極夏彦)

巷説百物語拾遺第六弾にして最終篇。
今回はまだ顔見世興行的に色んな人が入り乱れて出て来るけど、これらがどう繋がるのかは後篇をお楽しみに。いや、原点のところを反転すると答は書いてあるんだけども。
なお、自分でも忘れそうだからここに書いておくと、六部殺しをやった夫婦の名前が杉右衛門とたえなのは、六部殺しのモチーフと累ヶ淵のモチーフは実は同じで、累ヶ淵の方の両親の名が与右衛門と杉だから。入れ替えて、杉右衛門と(あ)たえにというお遊び。
じゃあなんで累ヶ淵は取り込まなかったの?という向きもあるとは思うんだけど、京極先生が「累ヶ淵も牡丹灯籠も翻案する予定がある。というか書きたい物、書ける物はいくらでもあるんです」ということをかつて言ってたのと、どうせやるなら真景累ヶ淵まで取り込みたいけどそれやると収拾つけられない自信があるから。京極先生、何とかして下さい、よろしくお願いします。
さて、これはまだ前篇なのであまり長々と書いても仕方が無いので、後篇に譲ろうかと。
そんな訳でまだ続くんだけど、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。

――とまで書いた所で、地響きがしたと思っていただきたい。


六部殺し・後篇/天逆毎(2017年)
原点:天一坊事件 & 瓜子姫と天邪鬼(昔話) & 巷説百物語(京極夏彦)

巷説百物語拾遺第六弾にして完結篇。
終わりだから、『此れで終いの金毘羅さんや』と締めたい気もするけど、靄船の林蔵は出て来ない。でもとりあえず締めの部分は『声に出して切りたい啖呵』を目指したので気が向いたら声に出してみて下さい。きっと楽しい。
あと、完結に伴い、『天狗攫い』を『天狗』に改題。元々こんな風にシリーズ化する予定じゃなかったから弩ストレートにタイトルを『天狗攫い』と付けたけど、鳥山石燕の絵巻的には天狗なので、統一。人を入れ替える話に始まり、人を入れ替える話に終わったのは全くの偶然。
なお、なんでこれで終わりなのかというと、それにはいくつか理由があって。
1.天狗(1)→皿数え(2)→夜啼石(3)→幽谷響(4)→獺(5)と来て六部殺し(6)なので、殺されちゃったら七部はありません
2.巷説百物語の本は、全部六篇(か七篇:一冊目の巷説百物語のみ)で構成されているのでキリがよい
3.京極先生とは違って書きたい元ネタはあるけど書けるネタが思い付かない
大まかに言って、こんな感じ。
いや、八百屋お七とかね、藪の中とかね、羅生門とかね、八幡の藪知らずとかね、鍋島の猫騒動とかね、書きたい元ネタはあるんよ。あるけどさ。でも、ここで巷説百物語拾遺、一巻の終わりでございます。
まぁ、また何か思い付いたら書くかも知れないけど、そうしたらまた全六篇考えないとなのかなぁ。
え、一巻の終わりなら二巻は?とか、いや、六部殺しって言うけど、自分で六十六部が元だって書いたよね、じゃああと六十部足りなくね?とか、そもそも、百物語って銘打つならあと九十四話でしょ?とかそういうのは聞きません。聞かないってば。京極先生の巷説百物語も百篇無いから許してよ。というかなんだ、こう書いちゃうともしかして、万が一京極先生が百篇書いちゃったらぼくも百篇書かなきゃいけなくなるのか。しかも元ネタや妖怪をカブらせることなく。うわぁ。
そういうのは、なんだ、一言でいうなら――
勘弁して貰いたい。
謝るから。

――とまで書いた所で、地響きがした、と思っていただく必要は、もう無い。

筈なのである。



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