ロア

【ロア1】
信じようと、信じまいと――

ヒマラヤ山脈にはイエティと呼ばれる未発見の巨大類人猿が住むとされている。
その頭皮や毛髪と称するものが村に祀られていたりするものの、それらすら聖なるものとして秘匿され、かつては目にすることも叶わなかったという。
近年ようやく科学のメスが入り、遺伝子解析が進められたのだが、残念なことにそれら全てが既知の地球上の生物であることが証明されてしまった。
しかし、推定身長は優に3mを超えると目される、ある骨の遺伝子解析から弾き出された『これは間違いなく人間のものである』という結果は、解析に携わった科学者達を大いに戸惑わせた。


【ロア2】
信じようと、信じまいと――

1962年、ドイツのとある中古家屋を買った家族が、屋根裏部屋からかつての所有者が記したと見られる日記を発見した。
日記の記録者は妻で、夫は無名の物理学者だったが、ある日研究に行き詰まったのか、夫は何も告げず失踪してしまったらしい。
残されたのは真っ二つに割れた結婚指輪の片割れのみであったが、傷も歪みもなく金属の指輪を割った方法は未だ明らかになっていない。
ちなみに研究テーマは『鏡の中の世界について』。


【ロア3】
信じようと、信じまいと――

この話には続きがある。
日記によると、その数年後、妻の元に一通の手紙が届いたそうである。
郵便物を届けに来た人物に何となく見覚えのあった妻の「あなた、どこかでお会いしたことがないかしら」という問いかけに、男は困ったようにこめかみを掻く仕草をしてから、無言で一礼して去った。
配達人の仕草は研究に悩んだ夫がよくやる癖と左右対称だったことに気付いたのはその後のことで、手紙には『戻れない、助けてくれ』と、見慣れた筆跡で、しかし鏡写しの文字で書かれていたという。


【ロア4】
信じようと、信じまいと――

第二次大戦中、ある男が時間球体説というものを唱えた。
それは、『時間とは地雷のようにイベントがちりばめられた球体のようなもので、世界はその上を目をつぶって闇雲に歩き回っているようなものだ。ある地点を踏んづけてイベントが発生した直後の一歩はほぼ間違いなくそのイベントから離れる方に踏み出されるために同じイベントが立て続けに発生する確率は低く、また、時間が経つほどに同じイベントが発生する確率は上がる』というもので、直観的には正しそうにも思えた。
しかしそれは、裏を返せば、恐ろしい悲劇や災害が発生した後に、『そこ』から離れようとどのような努力をどれほど積み上げても、それは大局的に見れば再びそのイベントを引き起こす方向に近付いているのに他ならないことを意味した。
日本に向けて核兵器が使用されたという報を聞いて男は自殺した。


【ロア5】
信じようと、信じまいと――

1840年代のイギリスのある村で、ベンジャミン・グレンジャーという身寄りのない盲目の男が共同墓地に葬られた記録が残っている。
ベンジャミンは気さくな上に博識で村人からも慕われており、いつからか村はずれに住み着いた彼の葬儀に村の誰もが文句一つ言わず手を貸し、滞りなく埋葬は行われた。
しかし村人達を困惑させたのは、彼の遺品を整理しようと家を訪れてみると、鍋では泥水で食べられそうにない雑草が煮込まれており、その地方に住むどの動物とも一致しない長い獣の毛が部屋中に大量に散乱していたことであった。
彼は一体何者だったのか。


【ロア6】
信じようと、信じまいと――

アーカンソー州の農家の息子、アルフレッドは日頃から「布団にのみこまれる」としきりに訴えていた。
その晩も母親はそう言ってぐずる我が子をベッドに寝かしつけたが、翌朝、まさかいつまでも起きてこないとは思わなかった。
いつまでも朝食が片付かないことに腹を立てた母親が彼の部屋に行き、叱りつけながら人の形に盛り上がった布団を思い切り剥ぎ取ると、そこに我が子は影も形もなかった。
何故か敷き布団が息子の体重の分だけ重くなっていたが、それ以来アルフレッドの姿を見たものはない。


【ロア7】
信じようと、信じまいと――

『マルコスの診療録(カルテ)』という奇書をご存知だろうか。
著者は17世紀のイタリアの医師エンリケ=マルコスであり、内容はカルテの名の通り、ある精神病患者の妄想や幻聴を書き留めたものである。
患者は自分の脳が異世界に落っこちており、こちらに引き上げられた時に向こうの世界で得た知識――例えば魔物を召喚して使役するすべを伝えようとして語ったらしいが、残念ながらこの奇書の内容を試みて成功したという話は残っていない。
何故なら試みた者はみな三日以内に謎の失踪を遂げているからである。


【ロア8】
信じようと、信じまいと――

明治33年の秋のこと、ある郷土史家が青森で行方不明になった。
宿に残された荷物の中から発見された手帳の最後には、『四戸に至れり』とだけ記されていた。
青森県は八戸が有名だが、実は一戸から九戸までが地名として存在することを知る者は多くはなく、同地域にはこれらが姓としても存在することを知る人はさらに少なく、四戸のみが姓には存在し地名としては存在しないことに至っては、ほとんど知られていない。
彼はいったい何を見付けてしまったのか。


【ロア9】
信じようと、信じまいと――

地球外知的生命体が既に地球に来ていると主張する人は少なくはないが、その一方で反論する者もあり、その中には『それほどの文明の差があるのなら地球は既に支配されてしまっているか、でなければ技術供与でもっと発展しているはずだ』とする声もある。
どちらが正しいのかについて確たる証は出せないが、仮に友好的でも好戦的でもない宇宙人が地球にやって来ていた場合はそのどちらにもならず――我々が他国に観光に行った場合と同様に――その国の文化を体験でき、また破壊しないように努めるのは想像に難くはない。
さらに言えば、もし現地人が行う者にとっては有害だが見る者には刺激的な文化――例えば有毒な植物を摂取して中毒になり、トランス状態で舞い踊るといった――を持っていた場合、もちろん好意から無理にでもやめさせようという意見も出るだろうが、大半はむしろ保存し、その文化を途絶えさせないようにと努めるだろう。
ところで、現在の地球上において戦争が絶えない理由を十分に説明できる者は、誰一人としていない。


【ロア10】
信じようと、信じまいと――

ロアというこの奇妙な形式の都市伝説にも似た物語集が書かれ始めたのは数年前のことで、目的は社会実験だとも、木を隠すための森だとも、ただの戯れだとも言われるが定かではない。
またロアは、他人に10以上語ってはならぬと戒めている。
そして言うまでもなくこれが10個目である。
私に何もないことを祈って欲しい。

信じようと、信じまいと――




top


novel (tag)
※message
inserted by FC2 system