親友のシノはちょっと変わったヤツだった。
こわい話が大好きで、ふしぎな話をよく知ってて、きみょうな話を聞かせてくれて――そんなおかしなヤツだった。
「なあソウ、知ってるか?」
シノはそう言って、いつもいつもこわい話をしていた。
学校の図書館にもこわい話の本はたくさんあったけど、シノのする話はそのどれよりもこわくてふしぎなものばかりだった。
ぼくはいつもそれを聞くばっかりで、だからぼくばっかりがこわい思いをしてて、だから、いつもずっと不公平だと思っていた。
シノの方だって、ちょっとぐらいこわい思いをすればいいんだと思っていた。
だから、ぼくは、シノにかくれていろんな本を読むことにした。
そうしておぼえたこわい話をしてやれば、シノだってこわい思いをすることもあると思ったから。
だけど、それはいつも失敗だった。
元からこわい話をいっぱい知ってるシノは、ぼくがどんな話をしいれてきても、どんなふしぎな話を語って聞かせても、だいたいはその話を知ってるか、知らなくてもオチが分かるって言って、ケロッとしてた。
去年の夏にぼくがおじいちゃんの家で見た話をしても、見まちがいか何かじゃねえの、とあっさり言った。
ソウはそーゆーところ、ツメが甘いからなあ、とシノは笑う。
鈴木さんだっけ、そこの子がどうなったのかまでちゃんと聞いてこなきゃダメじゃん、それじゃオチもなくてつまんねえよ。
そんなことを、しれっとした顔で言う。
それがくやしくて、なんとか一回ぐらい、シノの鼻を明かしてやりたいと、ぼくはずっとそう思っていた。
「なあソウ、知ってるか?」
その日も、シノはそんな風に話し始めた。
また始まったと思った。
シノのこわい話は確かにこわい。
こわいからこそ、ぼくだって楽しみにしてるところはある。
それは本当。
でも。
だけど、ぼくだって。
「シノ、いいところに来た」
だからぼくは、続けて何かを言いかけたシノの言葉に割り込んだ。
「あのさ、シノ、こんな話、知ってる?」
そう言いながら、ぼくは一生懸命に頭をひねる。
本にのってる話は、通じなかった。
ぼくが体験した話も、通じなかった。
だったら、ぼくが作った話は、どうだろうか。
ぼくが、本や、体験や、シノに聞いた話の積み重ねの中から考えた、一番こわい話なら、どうだろうか。
思いつくままに、一言だけ、こう言う。
「笑い女」
ぼくの言った単語に、なんだそれ、とシノはふしぎそうな顔をした。
「知らない?」
「知らないな、なにそれ」
首をかしげるシノに、ぼくはしめた、と心の中でガッツポーズ。でも、そんなの悟られたら全部おわりなので、ぼくはバレないように頭をフル回転させる。
「笑い女っていうのは、げらげらずっと笑ってる女のオバケだよ」
「で、それがどうしたんだよ」
うん、まぁたしかに、ただ笑ってるだけじゃあんまり怖くないかもしれない。
「これは昔の話なんだけど」
ぼくが口を開くと、まるで最初から考えてたみたいに、言葉がするすると出て来た。
笑い女は、元々はさびれた村に住んでいた一人のただの女だった。
夫は山に入って事故で死んだから、まだおさない子どもを3人、女手一つで育ててた。
でも、ある時、その村にひどい災害がおとずれた。
その年は、夏でもずっと冷たい風が吹いて、お日様はずっと陰ったままだった。
稲も野菜もひょろひょろと細く伸びるだけで、そのまま実も付けずに枯れてしまった。
森の木も、草もそうだった。
葉っぱもつけられないような細い立ち枯れの木ばかりが増え、森のシカやリスなんかも、木の皮をかじって必死で飢えをしのぐぐらいだった。
飢饉だった。
そして――
夏が過ぎ、秋を越え、冬が訪れるころには、もう、何もかも、誰も彼もが限界だった。
元々山に近い村は、冬になると雪に閉ざされる。
村人たちは食べるものもないまま、村に閉じ込められた。
茅葺き屋根をむしって食べ、壁土をはがして食べ、床板をけずってしゃぶり、泥にまみれたわらじすら口に含んだ。
そんなことをして、もつわけがなかった。
体力のない子どもは、日に日に弱っていった。
そしてある日、一番小さな赤ん坊が、熱を出した。
朝起きて、泣き声がしないと思ったら、真っ赤になってぐったりしていた。
触ってみると、燃えるように熱い。
息は浅くて、全身にぐっしょりと汗をかいている。
放っておいたら死んでしまうのは明らかだった。
だけど、外は大雪。連れ出したら、やはり死んでしまう。
半日なやんだ末、女は、決めた。
年上の子ども二人に、家の火を絶やさないように言いつけ、一人、薬を買い付けに行くことにした。
もちろんお金なんてない。交換できるものもない。
だけど、そうでもしないと子どもが死んでしまうのはまちがいなかったから。
大雪の中、腰まで埋まりながら、女は丸一日かけて、となり村まで往復した。
薬は、買うことができた。
ほんの1人分にもならないくらいのわずかな薬だったけど、女の髪と引き替えに。
自分の村が近付くにつれて、女の足は速くなった。
うれしかったのもある。
だけど、とてもイヤな予感がしていたから。
村人たちはみんな飢えていた。
そして、それは山の動物たちも同じだった。
やせ細ったシカやウサギを狩り尽くして、飢えきった狼にとって、守る親のいない子どもだけの家は、格好のエモノだった。
鼻に付く血の匂い。
むざんに破られた引き戸。
荒らされた家の中。
散らばる肉片。
変わり果てた子どもたちを前に、女は、正気ではいられなかった。
飢えた狼にとって、やせ衰えたその女がいたところで何かが変えられたとも思えない。
だけど、自分がいなかったせいで、子どもたちはみな、喰われてしまったと、そう思った。
あは――
笑いがもれた。
あははははははは――
止まらなかった。
あはははははははははははははははははははははははははははははははは――
女は笑った。
ひゅーっと時々ひきつったように息を吸いながら。
変わり果てた我が子を指さしながら。
両目から涙を流しながら。
途中からは、もう、笑い声も涙も出なくなって、ただ、ひゅーっと息を吸う音だけを喉からもらしながら、女は笑い、そして、そのまま息絶えた。
「なんだよそれ」
シノは気味悪そうに言った。
「気持ち悪い話だな」
「そうだね」
だけど、この話には続きがあるんだ。
ぼくがそう言うと、シノは、まさかって顔をした。
「うん、さすがシノ」
ぼくはうなずく。
「この話を聞いた人の所にね、来るんだって」
笑い女。
「それでね、最初は遠くにいるのに時々気付く感じなんだけど、それがだんだん近付いてきて――最後には『ひゅー』って息を吸う音まで聞こえるところまで来て、そしたら、気をつけなきゃいけない」
「な、なにをだよ」
「笑い女はね、こっちが気付いてるってことに、気付かれちゃいけない」
もし気付かれたら、指さされる。
「指さされたら――」
死ぬよ。
ぼくがそう言うと、シノは、ぞくっとからだをふるわせた。
それから何日か過ぎた日の、放課後。
シノが、浮かない顔でぼくの所に寄ってきた。
「なあ、ソウ」
「なに?」
こたえながら、ぼくは久し振りだなって思った。
このあいだ、笑い女の話をしてから、シノはなぜかぼくにこわい話をしなくなった。
なぜなのかは、よく分からないけど、あの話はシノにとってけっこうこわかったのかもしれない。
だとしたら、ようやく上手いこといったかな、なんて、ぼくはちょっとうれしく思う。
「あの、笑い女の話さ」
「うん、なに?」
ウソ、だよな?
と、シノはきいた。
「え、なんで?」
ぼくは首をかしげる。
「いいから!教えろよ!あの話、ウソだよな?」
どうやら、シノにとって、よっぽどこわかったらしい。
大成功、と思いながら、ぼくは、えっと、と少し考えるふりをする。
「何があったのか知らないけど、本当だよ」
「――本当、なのか?」
「うん、本当の話」
本当は、ぼくの作り話なんだけど。
「え、何かあったの?」
ちょっと白々しいかな、と思いながらそうきくと、シノは、いや、いいんだ、と言って、はなれていった。
シノが次に話しかけてきたのは、その翌々日だった。
「ソウ、あれ、本当に、本当の話なのか?」
「あれって、笑い女?」
「そう」
「本当だよ」
ぼくは同じこたえをくり返す。
シノにいつもこわい思いをさせられているから、ちょっとムキになっているっていうのもあった。
でも、シノにこれだけこわい思いをさせているっていうのが、うれしくもあった。
だから、ぼくはたたみかけるように、こう言う。
「笑い女に指さされないように気をつけないと、死ぬよ」
「――じゃあ、おれ、死ぬのかな」
ぽつりと、シノが言った。
聞きまちがいかと思った。
「え?」
「出たんだ」
シノはそう言った。
「出たんだよ、笑い女」
おれの家の近くに、と、シノはそう言った。
「ソウから笑い女の話を聞いてから、毎晩、ちょっとずつ、近付いてくるんだ」
最初は見まちがいかと思ったから、じっと見つめちゃって、目が合った気がするんだ。
「もしかして、気付いてるって、気付かれたかな、おれ」
シノの顔は青ざめていた。
だけど、今さらウソだなんて言えない。
「気のせいじゃないの」
なぐさめるつもりでそう言ったら、違う、ときっぱり言われた。
「気がついた時は、おれの家の前の坂の下にいたんだ。でも、今はもう、家の前ぐらいにまで来てる」
同じかっこうしてる、ぼろぼろの服を着た女が、少しずつ近付いてくるんだよ。
シノは、そう言った。
「近付いてきたから分かるんだけど、アイツ、笑ってる。ソウが言った通り、『ひゅー』って息を吸う音しか聞こえないけど、大きく口を開けて笑ってるんだ」
気のせいだなんて、もう言えなかった。
「なあ、おれ、死ぬのかな」
何も言えないぼくに、シノは、そう言われても困るよな、って小さく笑った。
「わるい。巻き込まないようにする」
背を向けて、帰ろうとするシノに、ぼくは思わず声をかけていた。
「――シノ」
今晩、泊まりに行って良いかな。
巻き込めないって言うシノを、反対にぼくが巻き込んだんだからと説得して、ぼくはむりやりシノの家に泊まることにした。
ご飯を食べて、シノの部屋にもう一組ふとんをしいてもらって、ぼくらは夜中を待った。
シノの話によると、夜の、日付が変わるころに、笑い女は出るらしい。
ぼくらはできるだけそのことを考えないように、別のバカなことをずっと話していた。
でも、話して、話して、話している内に、ネタはいつしか尽きていた。
ぼーん、と時計が鳴った。
びくりと、シノのからだがふるえた。
ぼーん、ともう一度鳴る。
ぼーん、三つ目。
ぼーん、四つ目。
……数えて、12個のぼーんが鳴り、時計の針は今、ぴったり重なっていると、分かった。
ぼくは、シノの部屋のカーテンをめくり、外を見た。
シノは、ぼくの後ろにそっとついてきて、おそるおそるのぞいている。
こんなに上手くいっちゃうとは思わなかったな、なんて思いながら、ぼくは周りを見回す。
シノの言う女なんてどこにも――
ひゅーっと、息を吸う音がした。
シノ、お前、と言いかけて、言葉が止まる。
ガラスに、ぼくと、シノと、見知らぬ女の笑い顔が。
ひゅーっと、息を吸う音。
ガラス窓の反射越しに、目が合った気がした。
ひゅーっと、息を吸う音。
女は口を大きく開けて、絞り出すように笑っている。
ひゅーっと、息を吸う音。
でも、笑い声は聞こえない。
ひゅーっと、息を吸う音。
女は腰をかがめる。
ひゅーっと、息を吸う音。
ぼくの肩に笑い顔がにゅっと近付く。
ひゅーっと、息を吸う音。
ガラスの反射越しに見つめ合う。
ひゅーっと、息を吸う音。
じわりと、イヤな汗が背中ににじむ。
ひゅーっと、息を吸う音。
女は血走った目を見開いている。
ひゅーっと、息を吸う音。
ほおの筋肉がぴくぴくとひきつっている。
ひゅーっと、息を吸う音。
唇の端が裂けんばかりに広がっている。
ひゅーっと、息を吸う音。
苦しそうだな、と、半分マヒした頭で考える。
ひゅーっと、息を吸う音。
なんでこんなに苦しそうなんだろう。
ひゅーっと、息を吸う音。
子どもが死んでしまったから?
ひゅーっと、息を吸う音。
違う。それはぼくの作り話だ。
ひゅーっと、息を吸う音。
何かを訴えかけるように、目が真っ直ぐにぼくをのぞき込む。
ひゅーっと、息を吸う音。
ああそうか、分かった。
ひゅーっと、息を吸う音。
ぼくのせいだ。
ひゅーっと、息を吸う音。
ゆっくりと、女が、手を持ち上げる。
ひゅーっと、息を吸う音。
その指が、ぴんと、伸びる。
ひゅーっと、息を吸う音。
ガラス窓の反射越しに、女はぼくを指さそうとしているみたいだ。
ひゅーっと、息を吸う音。
きっとぼくが、声も出ないぐらいに笑い続けているって言ったから。
ひゅーっと、息を吸う音。
だから、どんなに苦しくっても――
ひゅーっと、息を吸う音。
引きつったように、こうして――
ひゅーっと、息を吸う音。
笑い続けなくちゃいけないんだ。
ひゅーっと、息を吸う音。
ゆっくりと上がって来た指先が、ぼくの顔に――
「ウソだよ」
そう言った。
「笑い女なんかいない」
そう続けた。
「全部ぼくの作り話」
シノと、笑い女に向けて。
「だから、大丈夫」
気がつくと、ガラス窓に映っていたはずの女は消えていて、部屋の中には、ぼくとシノしかいなくなっていた。
「なんだ、作り話だったのか」
それにしても、ソウ、話作りの才能あるな、すげえこわかった。
そう言って、ほっとしたように表情をゆるめるシノの顔が、ふっと消える瞬間の笑い女の顔に似てたような気がした。
[了]
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