その三本足のキリンみたいなカタマリはテトラポッドという名前らしい。
またがろうにも背中みたいな乗りやすそうなところはないし、上までよじ登ろうにもてがかりもない。第一表面はざらざらしていてさわり心地もよくない。三本足なところが正直言ってかっこわるいし、何のためにあるのか分からない――と言ったらケンちゃんはバカにしたような顔でオモチャじゃないからなとぶっきらぼうに言った。
ケンちゃんは一つ上のいとこだ。
たった一つしかちがわないのに、僕が知らないことをケンちゃんはよく知っている。
それはべつに小学校低学年と高学年のちがいなんかじゃなくて、ずっと昔からそうだった。
じゃあなんのためにあるのさ、と僕がきくと、ケンちゃんは、見てろ、と言って海の方に目を向けた。
「ねぇ、なんで」
「いいから見てろ」
そう言って、じっと海を見つめているからしかたなく、僕もケンちゃんにならって海をじっと見つめる。
砂浜をちょっとはなれた堤防の上でじっとしていると、思っていたよりひざしがキツくて、僕はすぐにあきてしまった。
堤防の下には、さっきから話の種になっているテトラポッドがたくさんつまれている。
その先はすぐに海に落ち込んでいて、青い水面が近くなったり遠くなったりするのが見える。ゴミなんかも浮かんでて、ちょっときたない。だれがすてたのか知らないけど、発泡スチロールのカケラとか、枯れ草とか。発泡スチロールなんか、魚屋さんでしか見たことないし、そんなのを魚屋さんが海にすてたとか考えにくいし、ほんとにどこから来るんだろう。そうやってすてるぐらいなら僕にくれればいいのに。発泡スチロールは火の中にほうりこむと、真っ黒いけむりを出しながらシュシュシュシュシュって小さくなるから面白いことを、すてた人はきっと知らないんだ。
ひろってきたらいいかな、でもぬれてると燃えにくいかな。かわかしてまで燃やしたいっては、さすがに思わないし。めんどくさいもん。
となりのケンちゃんを見ると、まだじっと沖の方を見ている。
よくあきないな−、と思う。
だってケンちゃんはこっちにすんでて、僕なんかはこうしておじいちゃんの家に行ったりしないと海なんか見ないけど、ケンちゃんは毎日ぐらい見てるはずなのに。
僕の家からこっちのおじいちゃんの家までは車で2時間くらいかかる。
僕の家のまわりはけっこう都会だけど、おじいちゃんの家のまわりは畑と海以外のものがほとんどない。
そんなだから、ここに住めって言われたらちょっとイヤだけど、でも、一年に二回おじいちゃんの家に行くののうちの一回、夏を僕は毎年楽しみにしている。
楽しみにしている理由の一つはもちろん、海で遊ぶこと。
なんだけど、今年はタイミングがわるかったらしい。
遊びに来たは良いけど、海に入っちゃいけないってきつく止められた。
だから、こうして堤防の上をうろうろしたりしてる。
またケンちゃんの方をちらりと見る――
来た、とケンちゃんは短く言った。
あわてて海に目を向ける。
あっち、とケンちゃんが指さした先には、沖の方に突き出したコンクリートの堤防。僕たちの足下からずっと伸びているそこには、べつに何も見えない。
なに?ときこうとした瞬間、海面がぐぐっと盛り上がった。
え、と思う間もなく、その盛り上がった海面はどんどん高くなりながらこっちに近付いてくる。見つけた時から大きかったそれは、もう堤防の上にまで届こうとしていて、見る間にどぱっと堤防を乗り越える。
なのにケンちゃんは逃げるようすもなくって、僕はどうしたらいいのかわからなくてせまってくる海面をぼうぜんと見つめているしかなかった。
どどどっと近づいてきたそれは、足下のテトラポッドにたどりつくと、そのすきまをうめるようにすごいいきおいでこっちへとかけ上がってくる。
さらわれる!と思った瞬間、近づいていたはずの海面は、小さなしぶきになって飛びちった。
え、と思う。
だって、さっき、ここにつながってる堤防を乗り越えたんじゃなかったっけ。
ぴちぴちと顔にしずくがかかる。
でもそれだけで、足下の海面はくやしそうにぶくぶくと泡を立ててもどっていった。
「分かったか」
ケンちゃんはほこらしげにわらう。
何がおきたのかよく分からない、という顔の僕に、ケンちゃんは、見ただろ、と言った。
「さっき来た大きな波、向こうの堤防はこえただろ」
「うん」
「でもこっちはぜんぜん届かなかっただろ」
「う、うん」
「つまり、テトラポッドっていうのは、ああいう大きな波を砕いて小さくするためにあるんだよ」
「へー」
今の説明に僕はすごくなっとくした。この目で見てしまえば、たしかにその通りだって思う。
「だから、気をつけるんだぞ」
と、ケンちゃんは言う。
「え、何に?」
僕が首をかしげるとケンちゃんは、分かってないのか、とまたバカにした顔で言った。
「テトラポッドって、大きな波を小さくするためにあるんだぞ」
「それはさっききいたよ」
「だから、テトラポッドがここにあるってことは、ここは高波が来やすい場所ってことなんだよ」
「あ、あー」
なるほど、と僕はうなずく。
言われてみればこれもなっとく。
「だから、テトラポッドがあるところはあぶないし、テトラポッドの上にのぼるのはとっても危険なんだよ。分かったな」
「わかった」
僕はもういちどうなずく。
「分かったら、二度とテトラポッドにのぼるとか言うなよ」
――そっか、だからケンちゃんはさいしょにあんなにバカにした顔をしたのか。テトラポッドがある理由を考えたら、それがどんなにあぶないことなのかは言うまでもない。そんなことはこの辺だと、たぶんどんなちっちゃい子でも知ってて、よっぽどのバカでもなきゃ言わないんだ。たぶん。
「わかった。言わない」
「ソウはすなおでいいな」
そう言ってケンちゃんはにかっとわらった。
「言うこときかないやつがいるの?」
僕がそうきくと、ケンちゃんはイヤそうな顔をした。
「いるって言うか、来るって言うかさ、お前も遊んだことあるだろ、鈴木んとこのコータロー」
言われてすぐに思い出した。
ものすごいワガママで自分勝手なガキ。
まだ小さいからってこっちが手加減してやってるのに調子にのってあばれまわって、注意してもきかないぜんぜんきかない。
「今日か明日ぐらいにこっち来るらしいんだ。あいつ、あぶないからって怒ってもムシして、それどころかバカにするみたいにわざわざ止められたことして見せつけようとするだろ」
バカだよな、と僕に言うから、バカだね、とこたえた。
「でも、今日は台風が近づいてていつもより波が高いから海に入れないぐらい、特にあぶないわけだし、テトラポッドの上で足を滑らせたら本当に助からないかも知れないからな、ちゃんと言っとかないと」
「そうだね」
その日、夜中に目が覚めた。
外は風が強いみたいで、雨戸ががたがた音を立てていて、雨が屋根にたたきつけるみたいにふっていた。
僕はしばらく見なれない部屋をぼーっとしたあたまで見回して、ああ、おじいちゃんの家だと思い出した。
台風が思ってたより早く上陸してきたとかで、ひとばんとまった方が安全じゃないかって話になったんだった。
思い出すと、ぶるっと体がふるえた。
ぼくはもぞもぞとふとんをぬけ出すと、トイレに向かった。
二階の廊下をそっと通ってトイレに入る。
おしっこをして、ふと顔を上げると、ガラスまどが目に入った。
大きなまどはぜんぶ外から雨戸が閉めてあったけど、トイレの小さなまどはさすがにそれがなくって、外のようすがのぞけるみたいだった。
ちょっと見てみたくなって、よじ登ってみた。
おじいちゃんの家の二階からは、塀の向こうに今日ケンちゃんと立っていた堤防が見えた。
でも、真っ暗で、雨も風も強いし、大きな波が次から次におしよせていて、昼間とはぜんぜんちがう。
ざんぶりざんぶりと、ぼくとケンちゃんが立っていたところまで真っ黒い波が来ていて、あそこにいなくてよかったとほんとに思う。
ふと、何かが見えた。
テトラポッドのすきま。
黒い波の間に何か白いものが。
目をこらす。
何か、細い、棒のような――手が。
ぞくっとした。
見まちがいだと思った。
だって、こんなあらしの夜にそんなところに人がいるはずない。
それがあぶないなんてこと、この辺だったら子どもでも知ってる。
『テトラポッドの上で足を滑らせたら本当に助からないかも知れないからな』
てことは、助からなかった人が昔、いたのかもしれない。
だから、手招きするみたいに、あんなところでゆらゆらと。
『二度とテトラポッドにのぼるとか言うなよ』
だいじょうぶ、言わない。テトラポッドになんか、ぜったい上らない。
ケンちゃんの言ったこと、守るよ。
もういちど目をやると、もうその手は消えていた。
次の日の朝、台風はもう行ってしまって、いい天気だった。
これならちゃんと帰れそうだって言いながら僕たちが車に乗っていると、鈴木さんちの前に人だかりができてなにやらさわぎになっているようだった。
なにごとなのか気にはなったけど、僕たちは何もできないし、何も知らないから、とにかくおじいちゃんの家を後にした。
――帰り道、ふと思う。
トイレで見たものについては、僕はだれにも話してない。
僕はケンちゃんに言われていたから、すなおにそれをきいていたから、行かなかったけど。
もしかして、コータローだったらあれをみて、海に行ってしまうんじゃないだろうか。
いや、もしかして――
コータローはけっきょく昨日のうちに来たのか、それとも今日来るのか、そこは確認しない方がいい気がした。
[了]
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