通行禁止

 オレの部屋、幽霊が出るんだよ。

 そんな話を聞いたのは、大学に入って4年目の冬のことだった。
 俺の最初の感想は、何もこんな時期に、だった。
 夏ならそういう話も聞き手が多く、4年も大学に通って生活にも仲間にも慣れたバカ騒ぎ好きたちが集まって押しかけるなんてイベントだって起こすのは簡単だ。ところが今は12月。冬休みももう目の前で、病気にかかったクラスメイトたちはすぐにでも彼氏彼女が欲しい欲しいと鳴き声を上げて飾り尾羽根の手入れに余念がない、そんな時期なわけだ。
 そのせいで、そいつのか細い声が誰かに拾われる可能性なんて普通に考えれば、ないはずだった。

 オレの部屋、幽霊が出るんだよ、本当なんだよ。

 そいつは空気も読まず、授業の終わった教室で何人かの友人を捕まえてそう繰り返していた。
 俺はそれを遠目に眺めながら、何となく思い出していた。確かそいつは夏過ぎに引っ越したはずだった。家賃が半分ほどでもっと大学に近いところに引っ越すんだとかなんとか、嬉しそうに話していたのはほんの数ヶ月前のことだ。それを聞きつけて、引越し手伝ってやるから浮いた引っ越し代で飲もうぜ、と何人かにたかられ、楽しさ半分・迷惑半分といった風に笑っていたことも憶えている。
 そこから順当に考えると、9月末に引っ越したんだから、新居で過ごして約三ヶ月といったところか。
 美味い話には裏がある、出来た話には筋がある、とはよく言ったものだと思う。安ければいいというものでもないし、安いには安いなりの理由がある。それが世の中というものだ。

 本当に本当なんだよ、出るんだよ、幽霊が。

 あんまりにもそう繰り返すもんだから、それをイカした口説き文句だと勘違いしたクラスメイトの一人が、じゃあアンタの家でクリスマスパーティーしようよ、なんて言い出したことから、事態はいろいろと動き始めた。
 その酔狂なこと言い出したヤツがクラスでも結構中心で仕切って飲み会なんて企画するようなヤツだったおかげで、じゃあそうするかという流れになったのは、おそらくきっかけの一つに過ぎなかったんだと思う。
 既に就職を決めたヤツ、院への進学を決めたヤツ、俺と同じく留年したヤツ、いろんなヤツがいるわけだが、このメンツが集まれるのはこれで最後、そんな思いが同級生の誰の胸にもある、そんな季節。だからだろう、物寂しさも手伝って、あれよあれよという間に十人ほどの小集団がそいつの家に押しかけることに決定するまでに十分とかからなかった。
 ところが、口説き文句じゃなかった証拠を見せようとでも言うのかそいつの表情はイヤに真剣なままで、むしろふざけるなとでも言いたげに眉を顰めたままで、冗談じゃないんだよ、本当に出るんだよ、とそいつは繰り返した。
 分かったよ、と友人の一人が半ば呆れたような表情で言った。分かったからちょっと聞かせろよ、どんな幽霊なんだよ。

 その質問に、そいつは、驚いたように動きを止め、それから、静かに横に首を振った。

 そして、分からないんだ、と、そう口にする。
 分からないってなんだよ、出るんだろ、とさらに問い詰められ、そいつは今度は縦に首を振る。
 出るんだ、それは間違いないんだよ。
 だったら分かるだろ、どんな幽霊なんだよ、と重ねられ、そいつはもう一度首を横に振る。
 それが分からないんだ。
 じゃあ出ないんだろ、と詰まらなさそうに言い切られ、でも出るんだ!とそいつは声を張り上げた。
 夜中になると窓ガラスを叩くんだよ!ばんばんばんばん!ばんばんばんばん!ばんばんばんばん!って!でも姿なんて見えやしない!最初は誰かのいたずらだろうって思ってカーテンを開けてみたんだ、でも誰もいないんだよ!何回やったってそうなんだ!部屋の電気消して、しばらくすると始まるんだよ!でも、どんな逃げられないタイミングでカーテンを開けても誰もいないし、気配もしないんだよ!

 あまりの剣幕に、最初は茶化そうとしていた連中も押し黙った。

 ふーん、じゃあやっぱりアンタの家でクリスマスパーティーはしようよ、と何事もなかったかのように言い出しっぺは告げた。
 本気か、と周りがざわめく中、こともなげにこう続ける。
 きっと室温とか、他の部屋の空調とか、きっとそんなのが原因の自然現象だよ。これだけの人数がいたら怖くないだろうし、誰かが正体を見つけられると思うし、そうしたら安心でしょ。
 そんな簡単に行くもんか、とそいつは言い、行くわよ、と自信たっぷりに言い返される。
 だってあれは自然現象なんかじゃない、誰かがガラス窓を叩いてるんだよ、絶対に、とそいつは主張し、だからそれを確かめるんじゃない、と呆れたように言い返される。
 そんな遣り取りを何度か続けた後、結局そいつは折れた。
 じゃあ、決まりね、と嬉しそうに言い出しっぺは宣言した。
 きっと楽しいクリスマスパーティーになると思うな。

 で、どうだったんだ、と俺は訊いた。

 クリスマスパーティーの翌日、げっそりとやつれたクラスメイトの一人を街中で見つけ、ここぞとばかりに捕まえて喫茶店に引っ張り込んだのが数分前。質問の答えは大体想像がついていた。
 気にするなよ、ここは奢るからさ、と俺が言うと、そいつは辺りを見回してから頷いた。内装からランクを測ろうとでも思ったんだろうか。
 で、本当に出たのか、と重ねて問うと、そいつは宙にさまよわせていた視線を俺に落とすと、恐る恐る頷いた。
 お前ら結局、何したんだ、と訊くと、クリスマス鍋パーティーだよ、と簡潔な返答がきた。
 鍋パーティーかよ、というと、人数が多かったしやりやすかったんだよ、と拗ねたような答えだった。
 悪い悪い、と謝ってから、それやってる最中に出たのか、と訊くと、そいつは首を横に振った。
 言ってただろ、電気を消してからちょっとすると窓が叩かれ始めるんだ。
 そうだったな、じゃあ電気を消して試してみたんだな。
 そうだよ、アレは、アレは確かに、幽霊だ。

 話を要約するとこうだった。

 鍋パーティーを始めてしばらくはどうということはなかったらしい。
 ただ、途中で主旨を思い出し、電気を消してみたところから状況は一変した。
 しばらく待つと、突然、ばん!とガラス窓が鳴ったらしい。
 全員が息を潜め、顔を見合わせていると、ばん!と次の音が鳴り、立て続けに、ばんばんばん!
 ひぃっと一人が小さく悲鳴を上げ、他の一人が意を決して立ち上がり、窓際に寄って、カーテンを開くと同時に叫んだ。
 誰だっ!
 静まり返る部屋。そして――
 ばんばんばんばん!ばんばんばんばん!ばんばんばんばん!ばんばんばんばん!

 誰も窓ガラスなんて叩いてないのに、音がして、ガラスが揺れるんだよ!だからみんな悲鳴を上げて部屋から逃げ出したんだよ。

 それで終わりか、と俺が尋ねると、いや、とためらいがちにそいつは答えた。
 怖かったけど、朝になって、部屋に戻ってみたんだよ。ほら、卓上コンロつけっぱなしだったしさ。
 で、どうだったんだ。
 いや、一晩放置してたわけだから、卓上コンロはガス切れで消えてたよ。鍋もちょっと焦げ付いてたけど、火事にはなってなくて良かったんだけどさ、嫌なモン、見ちまってさ。
 なんだよ、何があったんだよ。
 ガラス窓にさ、あったんだよ。
 だから、何がだよ。
 いくつもいくつもいくつも、無数のさ――
 無数の、何だよ。
 ――手形が。

 俺が例の幽霊部屋に一人で一泊したのは、その晩のことだった。

 翌日、恐る恐る覗きに来たクラスメイトたちに、俺は平気な様子を見せるように片手を上げて応えた。
 よく無事だったな!幽霊出なかったのか?と口々に言うクラスメイトに、俺は、出たよ、とだけ答えた。
 やっぱり出たのか!怖くなかったのか?お前、どうしたんだよ、とこれまた口々にいうクラスメイトに、俺は、だからさ、と肩をすくめて答える。
 窓を開けてやった。
 それに一番に反応したのはその部屋の住人だった。
 お前なんてことしてくれるんだよ!幽霊中に入れたのかよ!お前、ふざけんなよ!
 いや、だからさ、これで大丈夫だと思うよ。
 はぁ、何がだよ。
 これで、もうこの部屋は大丈夫だと思うって。
 お前、もしかして、この部屋にもう幽霊は出ないって言ってんのか?
 そうだよ――

「もう、あの幽霊は“出ようとはしない”と思うよ」

 だって、もう、出て行ったんだからさ、とは言わないことにした。

[了]


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